赤色赤光

いのちの安全と安心。ほんとうの伝統を守る。

2019年3月25日

■はだか教育の廃止
 平成最後の年度を終えました。この1年を振り返り、格別に感慨深い物がありました。
 もちろん創立65周年もたいせつな思い出ですが、それ以上に園長の立場として、自然の教委にさらされた1年でした。地震、熱中症、台風、さらにインフルエンザまで色々な災禍に見舞われながら、改めて「いのちの安全」「いのちの尊さ」を感じさせられました。幼稚園は教育機関であると同時に、たいせつないのちを預かる「安全基地」でなくてはなりません。危機が迫るほど、子どもがどれほど繊細でこわれやすい存在か、それを切実に感じた1年でもありました。
 新年度から「はだか教育」を廃止する決定をしました。昭和52年以来続く「伝統」を取りやめたのは、まずは「いのちの安全」を守り抜くための決断でもありました。万一地震がやってきたら、はだかでは逃げられません。夏の強烈な日差しに肌を晒すことも安全とはいえません。はだか教育の教育的意義まで否定されるものではありませんが、しかしそれにこだわるあまり危機管理や安全意識を蔑ろにすることもできません。昭和時代とは別の社会通念が浸透する中、新しい時代に向けて「平成の決断」を下しました。
 はだか教育の「皮膚感覚を刺激して」「自律神経を鍛える」の目的は、そのまま「薄着教育」に引き継がれます。乾布摩擦もシャツ1枚の上から、いわば身体あそびのようなかたちで継承していきます。ほんとうの伝統とは固守するばかりでなく、こうしてしばしば更新されていくものだと思います。
■身体への想像力
 私立の幼稚園にはいろんな特質があります。多様な行事など最たるもので、諸外国にはない独自のものです。パドマにはパドマの行事のよさがあります。
 しかし、発表会にせよ運動会にせよ、全て行事のための行事ではなく、そこへ至る道のりこそ豊かでなくてはなりません。つまり「日常」の園生活こそ第一であり、先生や友だち、クラス集団の充実や高まりがあって、「非日常」の行事が楽しめるようになります。ここでも保障されるべきは、「いのちの安全」であり「安心」「安定」です。
 また、今秋からの幼児教育無償化も態勢が整い、「人づくり」の根本が幼児教育にあることも国民的合意がなされました。教育要領も全面改訂がなされ、現場には教育の質、保育の質が求められています。しかし、それが英語だ、プログラミングだと先走ることではないでしょう。
 家族にとってわが子のいのちは唯一の存在ですが、幼稚園では同時にいのちは全体のものです。クラスの仲間といっしょに歌い、いっしょに唱え、走る。そういう集団生活の中で、自分が意識したわけではないが、みんなの身体と協同しながら、他者への想像力を通わせていく。ことばによる理解と違います。身体と身体を響かせながら、自分という存在をかたどっていくのです。
 鷲田清一さんのこんな一文があります。「(幼稚園では)身体に想像力を備わせることで、他人を思いやる気持ちを、つまりは共存の条件となるものを、育んできたのである」
 幼稚園の場合、みんなのいのちの安全があって、ひとりが生きてくるのです。

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