赤色赤光

返事と起立。第65回卒業式挙行される。

2019年3月18日

心配された天気も見事に晴れ渡り、先週15日パドマ幼稚園の卒業式が行われ、130名の年長児が元気に巣立っていきました。
仏参に始まり、歌や詩の音読、呼びかけ、表彰授与など2時間を超える感動の式典でした。前の週はじめから私も入って、何度か卒業式のリハーサルを行ってきました。4クラス合同の動きもあれば、卒業証書授与のように個人のそれもある。どれも真剣で、子どもたちの意気込みが束になって伝わってきましたが、中でも深く印象に残ったのは、勢いのある返事と起立でした。

式中、何度か自分の名前が呼ばれ、起立する場面があります。返事の声の大きさ、確かさ、起立の素早さ、姿勢の美しさ。ほれぼれするような子どもの身体の動きに多くの参観者が目を見張ったのではないでしょうか。
幼児の場合、頭で考える知性よりも身体に響く感性が秀でます。子どもの身体感覚とは自己存在の拠り所であり、すべての園活動の中軸でもあります。体育だけではありません。毎日の日課の音読も暗誦も、音楽も、給食だってフルに身体機能を使った全身活動なのです。現代はその身体感覚がうまく育めないまま、身体の器だけが成長していきます。しばしば子どもの集中力や忍耐力が育っていないことが問題視されますが、そういう子どもはまずきちんとした返事・起立ができない。身体感覚が備わっていないのです。

ふと思いついたことがあります。卒業式で、子どもたちが歌う「仰げば尊し」の歌詞「身を立て、名をあげ」とはまさにそのことではないかと。一部では立身出世を称揚すると不評なようですが、この日の子どもたちこそ、誇らしく堂々と身を立て(起立)名をあげ(返事)ていたのではないでしょうか。
返事とは自分の存在を賭けて、相手に向き合うことです。起立するとは、そのことを全身で受け止め、役割を担うということです。信頼と責任の表明。ぼく/わたしはここにいる、という自存の証明を、これほど的確に表す姿を他に知りません。それは一朝一夕に育つのではなく、幼稚園生活の日々の応答の関係から生じてくるのです。

返事と起立に、子どもの生きるよろこびのすべてが詰まっています。幼稚園教育の成果とは、つまり皆そこに集約されるのだと思います。ご卒業おめでとうございます。

 

 

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