赤色赤光

新元号を迎えて。次の時代の人づくりについて。

2019年5月7日

令和元年を迎えました。幼稚園においても、また私自身の人生においても、昭和、平成、令和と3つの時代を経験できたことはありがたいことと感謝しています。

さて、10連休、巷は正月が来たような賑やかさでしたが、人気のない幼稚園は静まりかえって、私も久々に落ち着いた時間を過ごすことができました。
何冊か読んだ本の中で、クリスチャン・マスビアウ著「センスメイキング〜本当に重要なものを見極める力」が印象に残りました。ビッグデータやアルゴリズムという当世流行りの抽象的な情報ではなく、いま目の前で起こっていることや、人間や世の中が放つ有形無形の兆しを手掛かりに物事を判断する能力を、著者はセンスメイキングといいます。具体的には、哲学であり、芸術や宗教といった人文学であり、洗練された教養主義であると。私には、「鍛え上げられた直観力」という比喩が腑に落ちました。

詳細は、本書に当たっていただくとして、これほど変革の激しい時代に、もっとも基礎的な直観力をどこで養うのか、我田引水のようで申し訳ないのですが、私は幼稚園こそそれに適した場所であると考えました。
義務教育のような定められた課程主義でなく、またただ放縦な個人主義に委ねられるのでもない、幼稚園にしかない独自の環境があるからです。とりわけ我が園のベースになっている仏教は、本書の中でも指摘されていますが、世界が目に見えない関係性によって成り立っていることに気づく、大きな機縁でもあるからです。それが幼い子どもの内面に及ぼす影響は決して小さなものではありません。
AIだプログラミングだ、と教育界には半ば強迫観念のようにアピールが続きますが、結局そういうアルゴリズムが世界を覆うのであれば、人間の可能性とは著者のいう通り、「個よりも文化」「生産性より創造性」であると肯首せざるを得ません。すべてが合理的システムに組み込まれていく未来社会において、改めて人間固有の感受性や観察眼、物語力などの意味について考えていきたいと思いました。そのための最も基礎的な経験が、いまここで営まれている幼稚園生活であるとは、オーバーでしょうか。

令和の語源には、人々が心寄せあい文化が花開く、という意味があるそうです。データにおいて個人は単位に過ぎませんが、個人は無数の関係性によって多様な文化を形成していきます。幼稚園もまたその一つの花でありたい、と思うのです。

「人は何のために存在するのか」アルゴリズムにはさまざまな可能性があるが、関心を持つという行為はできない。まさしく関心を寄せ、気遣いをするために人は存在するのだ。(クリスチャン・マスビアウ)

 

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