赤色赤光

パドマの先生になっていく。タイの教育者が魅せられたもの。

2019年9月4日

新学期早々でしたが、9月3日海外から教育視察団21名をお迎えしました。一行はタイのバンコク市内の私立学校連盟の経営者で、私と同じ立場の理事長・園長らばかりでしたが、当園のエネルギッシュな活動に圧倒されたようでした。
その後の質疑応答で、「先生の育成」について質問が集中しました。恐らく経営者的には活動内容以上に、先生の魅力に目が引かれたのでしょう。「このようにすぐれた人材をどこから採用しているのか」。
こういった質問は、その他の海外の視察団からも必ずあるものですが、同じ専門職の立場からみると、パドマの先生の動きや表情、センスに(言語はわからなくても)痛く感心するものがあるのでしょう。
私は以下のような趣旨でお答えしました。
「この園の先生方は、最初から優秀な人ばかり採っている訳ではない。求人難はどこも同じだが、特に幼稚園教諭は役割と責任が大きく、一般には強い意識がないと敬遠されがちかもしれません。いろんなご縁で集まったパドマの先生は、担任・副担任にかかわらず1年間いわば実地に即した育ちの期間がある。いわゆる座学的な研修会もあるが、それ以上に現場における職員同士の支え合い、高め合う<同僚性>による育ちが大きい。学年ごとにチーム・ビルディングに努め、一年かけて皆で育っていく。そこで新任は<先生になっていく>のである。
専門職である以上に、ここで一人前の人間として成長してほしいと常々願っている。少しずつでも育っていけるような環境づくりに努めるのが、われわれ園長の役割ではないでしょうか」

もちろん一定の学歴は必要ですが、それ以上にパドマの先生にふさわしい身体能力(笑顔や姿勢、声も含めて)があります。それとプラス言葉の力。まず素質・素養となるものがあって、そこへ新しい息吹を吹き込むのが、すぐれた職場の文化といえるでしょう。
子どもが好きであることは大前提ですが、それだけで務まる仕事ではありません。1年間、子どもとともに「生きる」「育つ」という高い理想とプロ意識、またそれに奢らず的確に自己評価ができ、日々切磋琢磨していく謙虚な姿勢がないと果たせません。保育の大学では教わらなかった「教員としてあり方」に、この職場で出会っていくことが、パドマの先生の魅力ならしめているのだとしたら、園長としてこれ以上うれしいことはありません。
先生こそ、パドマの宝です。それを世界が、リスペクトしてくれているのだと思います。

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