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体育とスポーツは違う。「人」の「本質」を育てる。

2019年10月18日

来年から「体育の日」が「スポーツの日」と改称されるそうです。東京オリンピックまで1年をきり、まさにスポーツブーム、幼児期にも体操クラブやら水泳、サッカー、ゴルフまであるそうで、人気は衰えることを知りません。一方「体育」は少々分が悪く、「体育会系」などド根性、精神論や主従関係みたいなことが敬遠される傾向にあるようです。

スポーツは様々な種目や競技であり、楽しむものですが、「体育を楽しむ」とは言わないのは、そもそも体育が教育の一環だからです。けっしてスポーツと比較する概念ではありません。

 

昔から、子どもの教育のバランスを知徳体といって、知識と道徳(あるいは学識と人格)、そして心身の健康に分けて捉えてきました(当園では幼児期に鑑みて「知情体」といっています)。それは一言でいえば、はるかアテネやローマの古代から続く「心身の鍛錬」であって、それが人間教育の基礎的方法だったからです。

現代の小学校の教育要領にも「心身の健康についての理解と合理的な運動の実践を通じて,健康の保持増進と体力の向上をはかり,心身ともに健康な生活を営む態度を養う」とありますが、幼児期はさらに基本として、毎日の身体活動、生活経験(あそぶ、集う、食べるなど)も含んで広く体育ととらえるべきでしょう。跳び箱やマットだけが体育ではない。規律や励み、集中と発散、豊かな仲間との関係の中で育まれる活動すべてを、体育と言いたいのです。「鍛錬」という言葉が固いようであるなら、これを「健康のためのレジリエンス」といってもいいでしょう。

 

子どもの戸外あそびの機会がどんどん少なくなっています。子ども集団も少なくなりました。スポーツ全盛ではあるが、子どもの身体においては受難の時代です。体育とは、読んで字のごとく「人」の「本質」を育てること。わが幼稚園では、愚直なまでにまずは体育の原点=体づくりにしっかりと励んでいきたいと思っています。

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