赤色赤光

念ずれば花開く。気づきへの導き。

2021年4月30日

仏教詩人、坂村真民さんのこういう詩があります。

 

念ずれば

花ひらく

苦しいとき

母がいつも口にしていた

このことばを

わたしもいつのころからか

となえるようになった

そうしてそのたび

わたしの花がふしぎと

ひとつひとつ

ひらいていった

 

これを刻んだ詩碑が全国に600もあるほど、有名な詩ですが、もちろん「お願いすれば夢は叶う」という意味ではありません。むしろ今のように誰もが苦しいとき、不安や孤独を感じるとき、心の底から立ち上がる「念」の力を歌ったものだと、私は受け止めています。

「念」という字は、「今」と「心」が組み合わさってできています。過ぎた過去を悔やむのでもなく、まだ来ぬ未来を恐れるのでもなく、ただ今を精一杯生きる、それを念じることが説かれています。

 

花は一瞬で咲くことはありません。与えられた季節の中で、時間をかけて咲き、そして必ず散っていきます。花とは、何かの産物とか成果という意味ではなく、誰にもあるが、誰もが気づいていないような「いのちの尊さ」を指しているでしょう。花とは輝きでもあるし、またせつなさでもある。お母さんが口にしていたことばを、まるで習慣のように染み込ませ、いつ間にか称えるようになった。それは97歳まで生きた坂村真民さんの、詩人として生涯をかけた祈りでもあったのでしょう。

 

コロナ禍は一向に収まらず、自由に外出することもままなりません。不安やストレスでしんどい思いをされている方もあることでしょう。ここはがまんしかないのかもしれませんが、もう一度「念ずれば花ひらく」を思い出してみてください。苦難を耐えるというより、苦難をこそ気づきへの導きと感じることはできないでしょうか。

不平や愚痴ばかりに溺れるのではなく、いのちの尊さ、かけがえのなさに感謝できる、そういう日々へと思いを致したいと思います。南無阿弥陀仏。

 

 

 

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