赤色赤光

■「いま」を感じる。コロナストレスに打ち克つために。

2021年4月19日

保育室で読んでいる仏教の本「ブッダがせんせい」に、お釈迦様の言葉としてこんなお話が出てきます。

いまやれることを
いっしょうけんめい がんばろう

〜過去を追ってはならない。未来を期待してはならない。
およそ過ぎ去ったものは捨てられたもの。未来はいまだ至らず。
今日、まさになすべきことを熱心になせ。
(ダンマパダ)

誰もが思わなかったコロナの長期化に、心がしおれていくと感じる方もおありでしょう。自粛疲れというのもわかります。去年の今頃、「来年の春には家族みんなでお出かけできる」と信じていたのに、これまでが少々恨めしい気持ちにもなることもあるでしょう。
仏教では、少し考え方が違います。ここはかなりドライなのですが、過去にこだわらず、未来について気を揉むのでもなく、「いま:現在」をこそ大事にせよと言い切っているのです。コロナにあれこれ思い煩うことなく、今ここに生きていることを感じなさいということです。
少し留意しておきたいのですが、これを大人風に理解すると、「今やるべきことをやる」「集中する」「やる気を出す」となりがちですが、ちょっと子どもの場合は違う。前回の「センス・オブ・ワンダー」もそうですが、大人になるほど「いま」を感じるセンスは衰えていくのであって、多分大人の「いま」と、子どもの感じている「いま」には開きがあるように思います。「いま」は「いま」であって、未来の投資ではないのです。
仮に園生活の中で、なかなか次の活動に移れない子どもがいたりしますが、それは「いま」じぶんの内に起きていることを咀嚼(そしゃく)しているからかもしれない。年少さんには若干お母さんを恋しがって泣いている子どももいますが、それも外部(幼稚園)に来てしまったいまの境遇を受け入れようとする儀式なのかもしれない。次はあれ、これ、という先回りの指示は、そんな「いま」を阻害するのです。
そう考えると忙しい大人には、「いま」という時間はほとんど存在していないのかもしれません。一日のto doや将来設計を組んで、先のことを目標にして行動するので「いま」に気づかなくて済んでしまう。「いま」に関しては、子どものほうがはるか上のレベルにいるのですから、教えよう!なんて思わなくていいのです。

もちろん過去も未来もどうでもいいなんて申し上げているわけではありません。四六時中「いま」を感じているだけだったら、通常の社会生活も家庭生活も営めなくなります。だから、振り返りも大事、予定や計画も大事なのは言をまちません。幼稚園だってそうです。
でも、現代人は放っておくと、「いま」に帰って来られなくなってしまうので、そういう「いま」に気づく時間を意識的に生活の中に取り入れることが大切かと思います。幼稚園で言えば、朝の瞑想、あるいは給食の前の祈りなど、静かな時間ほど「いま」を感じる基点となるといっていいでしょう。
マインドフルネス人気が拡がっているそうです。「あれもダメ、これもできない」などとコロナストレスを憂えるあなたも、わが子にならって「いま」を感じる時間に親しんでみてはいかがでしょうか。

 

 

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