赤色赤光

道徳と仏教。習慣を通して染み込むもの。

2021年4月12日

小学校で道徳が教科となって2年が経ちました。果たして道徳を学校で「教える」ことが妥当なのか、当時はいろんな議論がありました。
「道徳とは日常における習慣である」とある識者は言います。「日常の具体的な場面でその状況に応じた経験のなかで学び取るものであって、教科には馴染みにくい」(佐伯啓思)。
全くその通りなのですが、それにふさわしい経験の場所として、現在の家庭や学校がなっているかというと甚だ難しいものがあるかもしれません。

パドマ幼稚園は仏教の幼稚園です。

祈りの時間や仏教行事以外に、保育のさまざまな場面で仏様の教えが語られます。担任の言葉として、時に園長の言葉として…いえ、教えという直接的な形でなくとも、子どもとの会話やかかわりの中の端々に仏の存在がにじみ出てくる。それが幼稚園における本当の仏教教育の姿かと思います。
仲間とともに生きる「和合」することや、相手のことを思い行動する「利他」、分かち合う心とは「布施」であり、思いやりあることばを「愛語」という…。これらのふるまいは、仏教の教えを拠り所としながらも、園生活を通して体得するもので、知識とか情報というレベルで獲得するものとは異なります。パドマの園生活とは、こうした目に見えない道徳の心を、先生や仲間とともに習慣を通して染み込ませていくものなのです。
同時に、僭越な言い方ではありますが、道徳の心を子どもを通して保護者へ、また家庭へ、地域社会へと広げていくことに私たちの使命はあると思います。子どものふり見て、わがふり直せ、なのです。

地球温暖化、SDGSなど国際レベルで倫理観が問われています。今の子供たちが大人になる頃、これらはさらに切実な問題となっていることでしょう。それを頭で考えて解決していくことも大切ですが、まずは世界的倫理に対する一人ひとりの人間の感性や意識の成熟が先決でしょう。
どんな大きな社会問題も、最初は身近な生活や暮らしにおける思いやりや心がけを端緒としています。「道徳とは日常の習慣」であって、まずそこから心に染み込ませながら、子どもは次第に世界を見るちえと感性を磨いていくのだと思います。
その拠り所として、あるいは道筋として、当園は仏教の教えを何よりも大切にしているのです。

 

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