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■お泊まり保育終わる。「聴く態度」を育んだもの。

2021年7月20日

年中の夏の集いに続いて、年長のお泊まり保育が無事終了しました。コロナ、熱中症といろいろ心配はありましたが、やってみれば子どもたちはすこぶる元気で、誰も養護室で横になる子はいませんでした。
私が一番感心したのはその活力に加えて、「聴く態度」が年長らしくできていたことです。行き帰りのバスの中、全員で食事をする際など、先生の指示をしっかり守り、静粛や黙食を保ったことです。分散とはいえ、70人近い幼児が黙って食事をする光景は、意思を感じます。
もちろん、楽しい遠足なのですから、子どもどうし歌ったり、笑ったり、おしゃべりするのは当然なことで、今回それを禁止、抑制せざるを得なかったことは複雑な心境です。それならプログラムを短縮する方法もあったかもしれないし、あえて遠方に出かける必要もなかったかもしれません。

2年にわたって、私たちはコロナ禍における行事の運営という難題に向き合ってきました。去年の休園の事態は別にして、分散、縮小、会場変更とあらゆる方法を選びながら、「行事を中止しない」方針を進めてきたつもりです。常に安全か実施かのダブルバインドの中で
揺れ動きながら、その都度ベターと思われる判断を下してきました。お泊まり保育はその最たるものと言えます。
園における今回のお泊まり保育の最重要事項は、安全最優先でした。先生たちには、時にはプログラムや活動を規制することもあると伝えました。子どもたちのために全力を尽くそう、できることはなんでもやろうと思うのは、パドマの先生であれば当然なことですが、それにブレーキをかけたのです。
結果的に、分散型ではありましたが、プログラムはすべて実施できたし、子どもたちの体力・体調も万全でした(昨日の夜のカレーは、おかわりが殺到し、ご飯もルーもお鍋が空になりました!)。終わってしまえば杞憂だったのかもしれませんが、しかしそういう事前の意識と配慮が先生たちに行き渡り、行動や発言を促したともいえるし、何よりそれが園児たちの「聴く態度」を育てていったのではないか、と感じます。行事は、子どもと先生が力を合わせて作り上げていくものなのです。
安全優先であったから消極性に陥ったり、萎縮ばかりであったとしたら行事をやる意義は見出しにくいでしょう。私は、今回の行事の最大の成果とは、園児たちの「聴く態度」、すなわち、たくましさとかしこさではなかったかと思います。
もちろんそれもまた、幼稚園を信じて、子どもたちの成長を支えてくだ去ったお父さんお母さんの愛情の賜物です。感謝しかありません。ありがとうございました。

  

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