赤色赤光

育児は育自。親として人間的成長をするということ。

2022年12月13日

少し以前になりますが、先月PTA有志による地域清掃のボランティア活動がありました。下はその記念写真。日曜日の朝、親子連れ(特に父親参加が多い)で参加したメンバーが、赤いたすき掛けで地域(かなり広範なのだが)を1時間ほど清掃して回ります。幼稚園からの依頼したわけではありません。まったく自発的な活動として、もう何年も続いているのですが、通園区域だからというより、幼稚園の名の下に、地域奉仕に尽くしてくださっているのでしょう。実にありがたいことです。

ちょっと話がジャンプしますが、最近男性の育児休暇が話題です。時代の変化を感じるのですが、これを権利や処遇面だけでなく、父親が自分自身の資質(人間性や人柄)を変化させる機会とは考えられないでしょうか。お父さんが育児を通して人間的に成長するのです。
「親になる」ということと、「親をする」こととは違います。「育児は育自」と言われるように、子育てを通して長いプロセスをともに生き抜いていく。子育て支援も大事ですが、そこに親として育ち、大人として発達していく希望が見出せないものでしょうか。

例えばケアする力。これは人間誰しも備わっている本能ですが、エラくなると周りから持ち上げられて、「お世話され慣れて」しまうことがあります。ひと昔前まで、育児に父親が参加することなど稀なことで、それはつまり男性に潜在するケアの力を封印してきたとも言えるのです。
育児には、会社や仕事の世界とは違う原理が働いています。競争とか評価のない世界。努力したからといって成果が出ない世界。それが逆に、弱さへの共感、幼さへの憧憬、あるいは柔軟性や自己制御、受容感といったものを育んでくれると考えられないでしょうか。あるいは、人間の利他行為といったものも促されることでしょう。冒頭の、父親の地域奉仕もそれにつながっているように思います。

日本は特に顕著かもしれませんが、我々は大人になってから学ぶ経験が極端に少ないと思います。資格や技能取得の学習はあっても、自分の人間性や価値観を磨いたり、深める機会は乏しい。会社に入ってしまえば、その色に染め抜かれ、いい意味で自己を相対化する対抗軸を持ちません。かつて地域社会や大家族が担ってきた役割ですが、いまはどれも「市場」になってしまい、自分を見つめ直す機会が貧弱になっています。
子どもも、やがては大人っぽく育ってきます。幼稚園や小学生時代が、親として自らケアの力を発揮できるチャンスなのかもしれない。この一年、子育てを通して、お父さんにはどんな変化がありましたか。どんな(父親の)成長がありましたか。そう自問してみるのもよいかもしれません。
そう思うと、子ども育てるといいながら、私たちは逆に育てられているのではないか、と考えるのです。

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