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■みんなでからだを動かすことの楽しさ。運動ローテーションの目的。

2024年5月1日

コロナ禍以前から、子どもの身体能力の低下についてはいろいろ指摘されてきました。少子化によって子ども集団がなくなった、安全な遊び場所がなくなった、さらにScreen Timeの長時間化など、さまざまな問題が指摘されてきましたが、要するに、子どもの時につかうべきからだを十分つかえないままでいるのです。使わなければ機能は当然劣化します。

では、子どもは持てる身体機能をどう働かせればよいのか。子ども向け体操クラブは数多ありますが、だいじなことは個別指導ではない。早いうちから野球とかサッカーとか個々のスポーツに親しむことが、一次的な目的でもありません。よくいわれるように、昔ながらのじゃれっこ遊びは有効ですが、これを意図的に計画していくことも容易ではありません。だいたいじゃれ合うだけの子ども集団が見当たらないのですから。

そうなると、幼稚園で、集団で、とりわけいかに「たのしく」身体を動かすことができるか、大切な要点となります。
パドマ幼稚園の運動ローテーションも、跳び箱やマット、攀登棒等々体操器具はいろいろあるが、それ自体を達成する上達することが目的ではありません(体操クラブで「はい、もういっぺん」が、ここではありません)。いちばんの肝要は、「みんなで目標を共有しながら、規則正しくくりかえす」こと。みんなで同じ方向、同じ流れをつくりだすことで、子どもは自分たちどうしが共振していきます。それがたのしい。個人が銘々ではなく、仲間の大きな流れに参入することでいつの間にか、みんなでからだを動かすことが快感となる。誰から与えられたたのしさではなく、自分たちでつくりだした本当のたのしさ。けっして跳び箱の跳べる、跳べないを競うものではないのです。
さらに、次々と運動メニューが続くワクワク感や、ちょっと手を伸ばせば達成可能な目標があるとか、子どものたのしさを担保する連続性や展開性があることもローテーションの魅力といえるでしょう。旺盛な運動の経験が身体のみにとどまらず、子どもの非認知能力の発達にも大きな有意性があることも見逃せません。

運動ローテーションの目的は、体操クラブのように体育技能を伸ばすことではありません。体育以前の身体感覚、「走る」「跳ぶ」「登る」あるいは「這う」「投げる」など自分に備わったさまざまなからだの感覚や機能を使うこと、活かすことなのです。それはわが家で親が熱心に関わったとしても、一人ではできない。絶対条件は、みんなとからだを動かすことがたのしい、チャレンジすることがたのしい、ということ。集団ならではの、極上のたのしさがあります。
スマホのように、なんでも固有化、個別化が進みました。通信手段は増えたが、逆に人と人のコミュニケーションにはいろんな障がいも起きています。今、まっさらな身体に、どのように身体感覚の快を植え込むのか。ポストコロナの時代となって、幼稚園教育の存在理由はここにあると考えます。

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