赤色赤光

■意味の前にリズムがある。「センスの哲学」。

2024年5月13日

パドマ幼稚園の教育の特徴の中でも、「リズム」はきわめて重要です。リズムといえばまず音楽が連想されますが、歌や合奏だけではありません。生活リズム、活動のリズム、音読にも運動にも、また給食にだってリズムはあります。
気鋭の哲学者・千葉雅也さんの「センスの哲学」(文藝春秋)を読んだのですが、そこで意味を超えていくリズムへの言及があり、たいそう共感しました。

「同じような刺激が繰り返される規則性、そしてそれが中断されたり、あるいは違うタイプの刺激が入ってくるという逸脱。この<規則と逸脱>の組み合わせでリズムはできています。言い換えると、<反復と差異>がリズムです」また、「差異とは刺激であり(中略)反復あってこその差異」とも述べています。

我田引水になるのを承知で、私なりの解釈を書いてみます。
まず、幼稚園生活にはリズムがあふれている。音楽がたくさんあるということではなく、園庭でローテーションがあって、保育室では瞑想があって、日課の集中があって、そして体育レッスンではマットで跳ねて、というふうに、1日の活動が多様な「強度(強い/弱い)」で構成されているということです(私たちはメリハリといいます)。
千葉さんは「強いところ、弱いところが並ぶことがリズム」とも言います。毎日のことば日課でも、朗々と「雨にも負けず」を唱えれば、次に抑制を効かせた抒情詩を歌う。一つ一つのアクティビティを「並べ」てみると、強弱がリズミカルに並んでいることに気付かされます。
それは意味を問うこととは別次元の経験です。「雨にも負けず」を解釈することが目的ではない。こういった名作を通年で唱え、他のあそびと並べながら、意味ではなく、全体のリズム(強いていえば日本語のリズム)を身体に埋め込んでいくのです。そして、リズムを成すベースにあるのが、毎日の「反復」(くりかえし)なのです。
これを敷衍して考えると、常々申し上げてきたように、「集団の保育」を「反復」、「じぶん主体の保育」は「差異」と例えることも可能でしょう。

現代思想家の書いた本ですので、わかりやすいとは言い難いですが、しかし抽象度の視野を広げると見えてくる風景が違ってきます。
リズムという観点でとらえると、先生と子ども、親と子どもという境界がなくなります。意味とか理解とかいう前にあるリズムといううねり。なんか仏教論になってきましたが、私もあなたも皆リズムを成す一部なのです。

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