赤色赤光

子ども会議と民主主義の芽

2025年9月18日

先週、年長のあるクラスを見学していた時のことです。子どもたちは来月のアート祭に向けて、クラスみんなで取り組むテーマを決めるために話し合いをしていました。あちこちで手があがり、「うちゅうがいい!」「電車を作りたい!」「お人形がいいな」など、次々と自由な発想が飛び出します。先生は一つひとつを丁寧に板書し、子どもたちは自分の意見がしっかりと受け止められていることを感じながら、ますます声を大きくしていきます。

この後、子どもたちは出されたアイディアを整理し、全体として一つのテーマに合意していくプロセスに入ります。その過程では「ぼくはこう思う」「わたしはこっちがいい」という自己表明と同時に、相手の意見をじっと聴き、「なるほど、そういう考えもあるね」と受け止める態度が生まれます。そして、どの意見にまとまるかをめぐって対話し、納得のいく合意を目指していきます。文字通り「こども会議」が生まれます

当園がこども会議に取り組んで6年になります。A B Cなどさまざま場面で対話が生まれているのですが、その目的は、単なる作品テーマの決定ではありません。大切なのは子どもが自ら考え、意見を述べる主体性を育てること。そして「こどもの意見表明権」を保障することです。意見を言うだけでなく、「意見を聞かれる権利、そのために必要な情報提供を受ける権利もあります。

もちろん、年長になったから突然意見が言えるようになるのではありません。年少から「あなたはどう思う?」「お友だちの話を聴いてみよう」といった日常の対話を積み重ねてきたからこそ、子どもたちは自信をもって意見を表明できるのです。

なぜ子ども会議が必要なのか、ふと世界の状況を思いました。

いま世界各地で、民主主義の理念が揺らいでいます。強権的なリーダーが恫喝し、フェイクニュースが氾濫する中で、社会全体が「多数決の形だけの民主主義」に陥る危うさを抱えています。本来の民主主義とは、単なる数の論理ではなく、異なる意見を尊重し合いながら合意形成を重ねるプロセスにこそ価値があるはずです。

教育の目的は、知識の伝達にとどまらず、成熟した市民=シティズン・シップを育てることにあります。年長の子どもたちがアート祭りのテーマをめぐって真剣に話し合う姿は、一見すれば小さな日常の一コマに過ぎません。しかしその「小さな会議」は、未来において自らの意見を持ち、他者を尊重し、社会をともにつくっていく市民性の確かな一歩となります。

アート祭を迎える頃、子どもたちは自分たちで決めたテーマを作品に表現することでしょう。その背後には、「みんなで話し合って決めた」という経験が刻まれています。こうした経験の積み重ねこそが、民主主義を支える土台であり、教育の本質に他なりません。

ページトップへ