あんぱん。子育てこそ慈悲の営み。
2025年9月26日

N H Kの朝ドラ「あんぱん」が終わりました。アンパンマンの生みの親、やなせたかしさんが主人公のドラマでした。
アンパンマンについては、困っている人の前に現れ、自分の顔をちぎって「僕の顔を食べてください」と差し出す有名な場面があります。発表当初は「汚い」とか「残酷だ」とか批判を集めたらしいのですが、大人の私たちにとっても深い意味を持つ場面です。やなせさんは、若い時に中国戦争に従軍した経験があります。戦後の混乱の中では、飢えに苦しむ子どもたちの姿を見つめました。その体験から、「困っている人を放ってはおけない」という願いをこめてアンパンマンが描かれたといいます。
この行為は一方的な施しではありません。アンパンマンは、自らが傷つき、痛みを背負いながら相手を助けます。この姿勢は仏教で説かれる「慈悲」の心と重なります。慈とは、すべての人に楽しみを与えること。悲とは、苦しみを取り除くこと。しかも、仏教の慈悲はただ上から与えるのではなく、相手の苦しみを自分の苦しみとして受けとめる「同苦同悲」の心に支えられています。やなせさんの言葉を借りれば「ほんとうの正義には、かならず自分も深く傷つく」のです。
子育てもまた、この「同苦同悲」の営みといえないでしょうか。子どもが転んで泣けば、親の胸も痛みます。子どもがうまくできずに悩めば、親も一緒に悩みます。ときには自分の時間を削り、眠る間を惜しんで、子どもに尽くすこともあるでしょう。これは決して無駄でも犠牲でもありません。仏教でいう「布施」の心そのものです。布施とは、物を与えるだけでなく、時間や労力や思いやりを分け合うことも含まれます。子育てはまさに布施の実践の場なのです。
幼稚園の生活を見ても同じことが言えます。子どもたちは毎日、友だちとのかかわりの中で、楽しいこともあれば、けんかや涙もあります。その時、先生は子どもの痛みに心を寄せ、ともに悩み、ともに喜びます。親もまた、園での出来事を聞いて一緒に笑ったり、時には胸を痛めたりします。その一つひとつが、親と子と、先生と子どもが「同苦同悲」の歩みをしている証です。
アンパンマンが自分を削ってもなお、新しい顔を与えられ立ち上がるように、子どももまた、親や先生の愛情に支えられ、何度でも元気を取り戻します。そこには、減るのではなく、分かち合うことでいのちが輝きを増すという真理が表れています。
自己犠牲を求めているのではありません。子育てが、サービスや対価で考えられることの多い現代、今一度、慈悲にあふれた親子生活があることに忘れないよう想いを馳せてほしいのです。私たちもまた、仏教の幼稚園として、その尊さを大切にしていきたいと思うのです。