「快―不快」の経験。親子でゆたかな感情交換を。
2025年11月17日
チャッピーくんというそうですが、私も最近は毎日にようにA Iのお世話になっています。
何を尋ねても即答正答かと思いきや、末尾には「正解とは限らない」とエクスキューズがあるのも、今はご愛嬌です。
さて、これは5月の教育講演会にいらしたカウンセラーの袰岩奈々先生の受け売りですが、幼少期に子どもの発達を2軸で捉えると、こういうことが言えるそうです。0歳から2歳までは「快―不快」、これはお分かりの通り、気持ちがいか、楽しいかが大切な意味を持ちます。3歳から5歳が「善―悪」の時期ですが、こちらは言葉で相手の気持ちを理解する、簡単に言えば思いやりの時期、そして6歳からが知識や技術を獲得していく、「正―誤」の時期になるといいます。
思い当たるところは多々あり、幼稚園での仏教教育の重要性を思うのですが、申し上げたいことは、6歳からの正誤の時代が今はとても前倒しになってはいないかという点です。
一部の知能教育や早期教育には、幼児に対してこうした正誤が強調されることがあるのですが、大事なのは原初の「快―不快」の経験ではないでしょうか。正誤も、善悪も、まずは「快―不快」の感覚があって育まれるものだと思います。
子どもたちは、ことばを獲得するずっと前から、「快―不快」を中心に世界を感じ取りながら生きています。お腹がすいた、不安だ、嬉しい、居心地がいい——こうした感覚的な経験が、まず子どもの心を形づくります。
ですから、幼稚園での活動はすべてあそびであって、子どもにとって楽しい・うれしい・もっとやりたいものではなくてはなりません。いうならば「快の最適化」です。
同様に、家庭生活においても、十分な「快―不快」の気持ちを育んでいただきたいと思うのですが、では、その「気持ち」をどうやって扱えばよいのでしょうか。
大切なのは、親子の間で小さな“感情交換”を積み重ねることです。子どもが怒ったり、拗ねたり、言葉にならない思いに揺れているとき、親が「そう感じたんだね」と気持ちに寄り添うことで、子どもは自分の情緒を扱う力を身につけていきます。親が率先して「気持ちを言葉にする」ことが大切です。
感情に良い・悪いはありません。ただ「そこにあるもの」であって、大人が落ち着いて受け取ってあげると、子どもは安心して次の行動に移ることができるのです。「快―不快」とは、子どもを喜ばせることではなく、その積み重ねではないでしょうか。
今の子どもたちは、生まれながらのA Iネイティブです。もっと正誤の精度や速度が増す未来を生きることになるでしょう。その時に大切なことは、幼少期にどれだけ「快―不快」を経験できたか、そこにかかっていると思うのです。

