赤色赤光

おかげさまの心。成道会遊戯会。

2010年12月8日

 昨日は、幼稚園の成道会お遊戯会でした。

 平日にもかかわらず、大勢のお客様が会場を埋めました。成道会とは、2500年前、お釈迦さまがお悟りを開かれた日、12月8日を祝う法会を言います。お釈迦さまが長い修行の末、悟られた真理とは、一言で言うと「おかげさまに生きる」という道です。遊戯会では、わが子が舞台狭しと懸命に演技を披露する姿を、客席のお父さんお母さんは、感慨深く見つめておられたのではないでしょうか。「よく育ってくれた」というその万感の思い---それは一体誰の「おかげ」なのでしょうか。

 むろん、父母や家族の真心込めた育てのおかげがありました。微力ながら私たち幼稚園のかかわりも、その発達に少なからず寄与したのかもしれません。しかし、そんな名前を特定できる「おかげ」以上に、たいせつなことは目には見えない数々の「おかげ」を、私たちは被っているという真実です。

 ご記憶でしょうか。去年の今頃、インフルエンザの猛威に私たちは慄き、わが子が健康であることの幸福を噛みしめたと思います。その心身の健康は、いったい誰の「おかげ」でしょうか。太陽も、水も、緑も、私たちの思い通りに行かない。私たちは、確かに名前を特定できない、誰かによって、見守られ、支えられ、そして生かされています。そのことを、お釈迦さまは「おかげさま」と呼ばれたのです。

 傲慢な我々大人は、しばしばこの「おかげ」を忘れがちです。自分は自分の力だけで生きている、と利己心に陥りやすいものです。わが子のひたむきな演技は、その上手下手よりも、人間が「おかげさま」に生かされていることに気づく、貴重な機会とも言えるのではないでしょうか。
今年は「無縁社会」という言葉が流行りました。人間と人間は縁を頼って生きていくはずなのに、縁を失い、路頭に迷う人が少なくありません。「おかげさま」に気づいたならば、わが子への愛の千分の一でいいから、見知らぬ誰かのために思いやりの心を返してあげたいものです。お釈迦さまの「おかげさま」への感謝は、生かされるよろこびを、多くの人々との縁づくり(恩返し)によって報いられるものなのです。

 今年もあと僅かとなりました。入園・進級して9カ月---子どもたちの成長を「おかげさま」と喜びながら、家族そろって、よく生きて、生かされる歳末でありますようお祈り申し上げます。

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