赤色赤光

ささやかだけど、大切なこと。子育ての幸福。

2010年11月10日

 「子育ての危機に迫る」というフォーラムに出演してきました。どこかの報道番組のようなタイトルですが、主催は京都大学教育実践コラボレーションセンターで、子育てや幼児教育にかかわるゲストとともに話し合いました。

 家族崩壊、幼児虐待、育児放棄…連日、「子育ての危機」に類するニュースには事欠きません。少子化社会ですから、世間はじつは子ども慣れしていない。報道がそのまま大勢のように鵜呑みされて、子育てに対する負担感だけが増幅していきます。

 フォーラムで、私は、入園児保護者のみなさんの笑顔のお話をしました。

 

入園児保護者のみなさんに、私から必ず尋ねる質問があります。

 「最近、お子さんのことで、親として喜びや幸せを感じたことがありますか」
 どの親御さんも、満面に笑みを浮かべ語ってくださいます。

   「はじめてお隣さんに、自分から挨拶ができた」
 「風邪で寝込んでいた私を、気づかってくれた」
 「夜空を眺めていたら、『お母さん、星ってきれいだね』とつぶやいた」…

 じつにささやかな喜びですが、両親は嬉々として「小さな幸福」を語ってくれる。子育ての危機を叫ぶ声は大きいが、反対に幸せを語る声はあまりにか細く、謙虚でさえある。しかし、子育ての幸福とはそういう平凡な日常の積み重ねからしか見えてこないのであって、私たちは、その小さな声を聞き取るためにもっと耳を澄まさなくてはならないのでないか、とも思います。

 「親となることによる成長、発達」について調査した学術成果があります(「子どもが育つ条件」)。子育てを通じて、親もまた人間的に成長する。たとえば「受容」「寛大」「諦観」「忍耐」「慈愛」というような感覚は、子育てという、親の意のままにならない営みを通して、時間をかけて人格ににじみこむようなものではないか、と思います。その感覚は、個人のみならず、やがて人と人の関係の中に織り込まれ、社会の安心や希望の礎となるのではないでしょうか。

 「子育ての危機」という前に、「子育ての幸福」をもっと語りましょう。そのためには、子育てが子どもの発達・成長のためだけでなく、親もまたその人間的成長に資する価値あるものであることに着目したい、と思います。

 家族そろって旅行や遊園地が、「幸せ」なのではありません。子育ての幸福とは、さりげないけど、大切な時間と体験の中からゆっくりと育まれていくものなのです。

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