赤色赤光

国語教育の明日を憂える。「日本語が亡びるとき」。

2009年1月5日

話題の本「日本語が亡びるとき」(水村美苗・筑摩書房)を読みました。英語の世紀となっ て、改めて今日の日本語教育の重要性を説いていますが、同時に英語義務教育化に傾斜する趨勢にあって、ほとんど憂国の書となっています。日本近代文学の古 典こそ、日本語の範であるとし、翻訳や詩歌、さらには高校を終える頃には文語体や伝統的かなづかいにもふれさせるべきと主張します。

「文化とは『読まれるべき言葉』」を継承することでしかない。『読まれるべき言葉』がどのような言葉であるかは、時代によって異なるであろうが、それにもかかわらずどの時代にも、引き継がれて『読まれるべき言葉』がある。そして、それを読み継ぐのが、文化なのである。ゆえに、『読まれるべき言葉』を読みつぐのを教えないことが、究極には文化の否定というイデオロギーにつながるのである」

パドマ幼稚園の教育も同じ地点に立っており、「読まれるべき言葉」として名詩や名文、あるいは叙情歌(これも明治近代の詩歌です)を積極的に日課に取り入れています。音読して、耳に馴染ませ、日本語の「気韻やリズムをおぼろげながらでも身体全体で感じ取らせ」ているのです。

単なる日本語の乱れとか正しい用法を指摘しているのではありません。グローバルな英語の世紀となって、誰もが英語が世界共通の「普遍語」であると信じて疑わないからこそ、「学校教育を通じて日本人は何よりもまず日本語ができるようになるべき」という、著者の憂慮が全編にこめられています。

今年から当園の卒業式では、年長児が全員で「仰げば尊し」を原詩のまま歌います。幼児にそんな難しい意味などわかるはずがない、とおっしゃるな。日本人であることの自覚と誇りを、まず幼少期に体験せずして、将来の国際人などなり得ません。

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