音楽は人間関係のハーモニー(わらまんエッセイ②)
2011年1月21日
(エッセイ①17日よりつづく)
小1プロブレムという言葉も、すっかり定着しました。
東京学芸大学のプロジェクトチームが、全国の市区町村教育委員会にアンケートで聞いた結果を、最近の朝日新聞が報道しています(有効回答1156教委)。
「最も多かったのは『授業中に立ち歩く児童がいる』(930件)。続いて『学級全体での活動で各自が勝手に行動する』(881件)、『良い姿勢を保てず、机に伏せたり、いすを揺らしたりする児童が多い』(593件)、『教員の指示が全体に行き届かない』(520件)などが目立った(中略)。
プロジェクトチームの報告書によると、『小1プロブレム』が『学級崩壊』とは別のものとして社会の注目を集め始めたのは1999年以降だ。子どもは生活の中心が遊びから学びに変わることに戸惑う。学校の側から見れば、家庭のしつけが足りず、学習に必要な『我慢』ができない子が多いと映る」
続いて新聞記事では、いま各地で地域の幼稚園と小学校の連携が進んでいると、報じていますが、それが単なる「予行演習」であれば、子どもがすぐに落ち着きを取り戻すとは思えません。問題の根っこにある、就学以前の教育そのものの考え方を改めていかないと、子どもの社会性は欠落したまま尾を引くことでしょう。
現代の教育は自立を促します。とくに子どもが学習面で自立できるよう、早く早くと急かします。集団で授業はしていますが、評価は個人の相対評価であり、個別の学力を上げることが自立のための王道だと考えています。ですから、英語や算数が優先される反面、体育や音楽は付属的な教科として、大切にされているとは言い難い。受験に影響のない科目は、クラブ活動でやってください、というのが日本の学校の考え方です。
いったい音楽や体育から、私たちは何を学ぶべきなのでしょうか。
大阪の千里に、いろいろな国籍の子どもが集まる、インターナショナルスクールがあります。そこでは、音楽は全児童必須の授業で、とくに皆で取り組む合唱や合奏が重視されています。なぜか。人間はひとりでは生きていけない非力な存在だ、だから文化や言語の異なる「他者」と違いを刷り合わせながら、ともに生きていくという異文化共生こそ大切なんだ、という説明を聞いたことがあります。
音楽とは、ハーモニーです。共感能力や、協調性は、国語や算数ができるから身につくものではない。この学校の音楽の授業は、学力以前の集団における社会関係の器を育んでいたのだと感じました。 (つづきは28日掲載)