赤色赤光

社会の子として歩き始める(わらまんエッセイ③)

2011年1月28日

(エッセイ②21日よりつづく)

さて、幼稚園に話を戻しましょう。3学期に入り、どのクラスでも毎日の日課活動では、子どもたちから自発的に参加してくれる元気な声が響いています。

漢字や数字、俳句、音読、素読、数唱など快適に展開する活動は、一見して個別の学力を目指す実践のように見受けられるかもしれません。そう思わせるのは、われわれ大人の「個別学力観」というものであって、いま子どもたちが楽しんでいるものは、仲間との声や音が重なりあい、響きあい、ひとりでは味わうことのできない一体感や連帯感なのです。言い方を換えれば、自分と仲間をつなぐ共同体感覚であり、それこそゆたかな社会関係の基本モデルともいうべきものと私は考えます。

社会が個人を支配するものであってはいけません。個人がいきいきと社会に参加するにはどうあればいいのか、幼稚園での集団の意志が、個人の意識を高めていきます。

集団にやらされているのではない、自ら集団に参加していく、同調していくことのよろこびや楽しさ。自らの経験として打ち込む活動は、それが日々くりかえされることによって、体育にせよ、音楽にせよ、仲間と強調し、共感する感覚を育て、そのまま子どもの人間性に深く織り込まれていくのです。それこそ、子どもが将来「社会力」として育む能力の原資となるものではないでしょうか。

社会力とは「人と人がつながり、社会をつくる力」をいいます。多様な他者といい関係をつくり、それを維持しながら、自分の知識や技能をそこに役立たせることのできる力です(門脇厚司「社会力を育てる」)。言葉をいくら知っていても、それが社会力として発揮されなければ、ただ蓄えられた知識に過ぎない。

そして、肝心なことは、「他者とつながりたい」「他者といい関係をつくりたい」という資質は、誰にでも生まれながらに備わっているわけではない、という事実です。その能力は、子ども時代、青年時代を通して、さまざまな環境や経験から培われていくものであって、だからこそ幼児期の社会関係性はたいせつなのです。引きこもりやネット難民など、最近は上手に社会に参加できない若者が増えています。社会力がますます大きな意味を占めていると思います。

幼稚園生活とは、すなわち子どもが生涯初めて社会力を開く希有な場所です。その芽生えがあって初めて、子どもは「社会の子」として大きく歩き始めるのです。

(了)

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