赤色赤光

助けあう心を幼児に伝える。

2011年2月3日

日本海側では大雪の被害がたいへんなようです。中でも年末年始から、あちこちの道路で降り積もった雪のために、車が立ち往生という報道が続いています。

何時間も車に閉じこもったままとなれば、忽ち困るのは食事であり、あるいはトイレです。それに応えようと、沿線の住民が、誰から要請されたわけでもないのに、温かいみそ汁とおにぎりを配ったり、トイレ貸しますの表示を出したり、心温まるニュースもありました。  ある小学校では、先生がその新聞記事を子どもたちに読んで聞かせ、感動した子どもたちが、沿線住民に感謝の手紙を書き、また住民がその返事を書いたという思いがけない交流もありました。「助けあい」の心は連鎖するのです。

 

幼稚園の子どもに、教師が伝えなくてはならないたいせつなことがあります。それは、人間はひとりでは生きていけない、必ず誰かの助けを必要とする、ということです。今は何事も自立を急かされる時代ですが、いくつになっても人間は完全に独り立ちすることはできない。やがて病や老いが来れば、誰もが助けなくして、生きていけない存在だからです。

小学生の子どもたちが、住民に送った手紙にはこう書いてありました。

「人を助けることはすばらしい」

「私も、ありがとうと言われるとうれしい気持ちになります」

「ぼくも、大きくなったら、誰かを助けられる大人になりたいです」

私たちの社会は、人間関係の多くをサービスに委ねています。サービスには代価が伴い、関係より先に、お金のやり取りが重要になります。そして、いつしかお金を払っているのだからやってもらって当たり前、逆にお金にならないことは指一本動かさない、というような風潮に染まってしまっているのではないでしょうか。

幼稚園の子どもに、なぜ「助けあいの心」を伝えなくてはならないのか。それは子どもが本来的に誰かの助けを必要とする弱き存在だからです。親も教師も子どもの保護を義務としていますが、しかし、その弱さは非力の弱さとは違う。その弱さとはすべての人間共通の原初の姿であり、その「助けあい(子育て)」の体験がやがてその子が成長した時に、他者への心配りや気持ちになっていくからです。家族の「助けあい」は継承されていくのです。

いや、保護者から子どもに対しては、助けが重きをなしているのであって、それを相互の「助けあい」とはいえないのではないか。そんな声が聞こえてきそうです。そうでしょうか。お母さんは、わが子の健やかな成長にたくさんの「心の助け」をもらっているのではありませんか。

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