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ソーシャル・センシビリティを育む。

2011年10月18日

 先日、脳科学者の茂木健一郎さんの講演を聴いてきました。タイトルは「子どもの脳を育むためにできること」。会場は幼児教育関係者で埋まっていました。
 講演は、現代の教育の弊害から始まりました。茂木さんは、現在の受験・偏差値中心の教育を「個人ワーク型」と指摘します。それは、鳥カゴの中に子どもを囲ってしまって、他者と出会ったり、つながったりする機会を阻む教育であり、そこから学ぶことの楽しさは生まれない。国際間の学力調査の結果からも明らかなように、日本の子どもたちは、どうも学習が「楽しめない」のです。
 茂木さんは、子どもに一番必要なものは、互いの気持ちが共有できたり、知らない人でもつながることができる「ソーシャル・センシビリティ(社会的感性)」ではないか、といいます。一人ひとりの能力を上げることは容易ではないが、互いの関係をベターなものにすることで、チームとしての能力を上げることができる。今、人気のツイッターやフェイスブックなどのソーシャルメディアも、これに通じるコンセプトといえるでしょう。
 もうひとつ、膝を打ったのが、「脳が楽しい時、一番学ぶ」という発言でした。誰かに言われたから、あるいはいい点数とるためにやっている、のではなく、子どもが本当にそれ自体を楽しいというのは、脳が全開している時であり、フローな状態にある。楽しいから遊びであり、本気で遊んでいるから、それは最高の学びであるというものでした。フロー状態というのは、我を忘れて、活動自体にのめり込んでいるような状態を言いますが、私は、そこにパドマ幼稚園の教育の原理を見た思いがしました。
 「幼児教育は集団教育」というと、個人が集団に支配されていくような、画一的な教育をイメージされる人がいます。でも、それでは、すでに子どもは「楽しくない」から、「学び」ではない。単に強制をして、無理に合わさせているだけです。本当の協同関係には、みんなと一緒にいるから楽しい、一緒にやり遂げたからうれしい、という感覚が必要であって、よき集団の動力源とは、何にも代えがたい「楽しさ」のエネルギーなのです。
 ただ子どもにとっての「楽しさ」を誤解してはいけません。それは、遊園地的な見た目の楽しさとは違う、人間の本性としての、他者と協同する楽しさであり、互いを支えあい、響きあい、だからその充実感がうれしいのです。園生活で言えば仲間とともに歌うよい声であり、ともに励むよい動きであり、そしてともに笑いあうよい表情、つまり 私なりに申し上げれば、根源的な人と人とのつながりに気がつくことなのです。
 幼稚園は小さな世界かもしれませんが、その窓はソーシャル・センシビリティという社会に向けて大きく開かれているのです。
(わらべまんだら 497号の園長エッセイより抜粋)

 

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