赤色赤光

不安の時代を生きる技法。香山リカさんと。

2011年11月4日

 先日、相愛大学のシンポジムに出演する機会がありました。精神科医の香山リカさん、宗教学者の釈徹宗さん、アナウンサーの西靖さん、と、周囲は錚々たる顔ぶれで、ちょっと緊張しました。タイトルは「不安の時代を生きる技法」というもので、香山さんが書かれた新書「不安な時代の精神病理」をベースに話は進められました。

 日本が経済大国から没落し、長引くデフレによって人々の生き方が変わって、現代人にはどのような心理不安があるのか、さすが名うての精神科医らしく香山さんのお話はシャープなものでした。
意見を求められ、私は少し違った角度からお話ししました。私は、むしろ「不安は創造のエネルギーになるのではないか」という提案です。

「不安と悩みは違います。悩みは打ち明けることができるが、不安を打ち明けることはできない。つまり、不安にはカタチがなく、自覚ができない。何となく不安が多いのではないか。一方で不安はよくないと悪者視されて、不安は一刻も早く取り除くものとされるが、本当にそうなのか。そもそも生きるということは、不安を抱えることではないでしょうか」

 もちろん、心身を危機に追い詰めるような不安は問題ですが、逆に不安が生きることをたくましくすることもあります。私は應典院で若いアーティストとつきあいがありますが、彼らの少なからずが、不安をエネルギーにして創造活動に取り組んでいる。幼稚園でもそうでしょう。入園や進級の時、子どもは不安で一杯です。時には登園を嫌がることもある。不安の塊だが、だから行かせないでおこうにはならない。親がよく支え、励まし、そういう不安を一つ一つ乗り越えて、やがて園生活を満喫できるようになるのと同じです。

 現代の子育てにも、不安はつきまといます。子どもが不安を抱えているというより、子どもと上手に関係がつくれない親の不安として取り上げられることが多いようです。
容易な解決法はないけど、ひとつ確かなことは、冒頭に申し上げたように、不安にはカタチがない、ということ。ならば、「不安」をカタチのある「悩み」にしてみたらどうでしょうか。誰かに不安を聴いてもらう、不安を持つ者どうし交流してみる…そうすれが、少なくとも「原因なき不安」に惑わされることはなくなるはず。具体的な解決法に向けて、少しずつ改善が図れるかもしれません。
いや、そんな「不安」について語り合う場さえ、現代社会では乏しくなっています。親どうしが、気軽にフランクに話し合える場をいかに提供するか、幼稚園の社会的責任は小さくないと思います。

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