おかげに生かされるよろこびを。成道会遊戯会。
2011年12月8日

昨日は、成道会お遊戯会でした。成道会とは、2500年前、お釈迦さまがお悟りを開かれた日、12月8日を祝う法会を言います。なぜその日を冠にするのか。それには訳があります。
お釈迦さまのお悟りとは一言で言えば、「おかげさまに生きる」という道です。あらゆる存在は相互的に成り立ってるのであって、独立自存しているものなど何もない。有名な「縁起の法」ですが、それはそのまま今日の子どもたちの様子に当てはまります。
入園、進級された頃の日々を思い出してほしいのです。登園をむずかったことも、抵抗されたこともあったでしょう。ご両親もわが子の幼稚園生活が心配で不安で、落ち着かなかったこともあったかもしれません。でも、それから9ヶ月、今日の遊戯会で、舞台狭しと懸命に演技を披露するわが子の姿を、感慨深く見つめておられたのではないでしょうか。「よく育ってくれた」というその万感の思い---それは一体誰の「おかげ」なのでしょうか。
むろん、父母や家族の真心込めた育てのおかげがありました。微力ながら私たち幼稚園のかかわりも、その発達に少なからず寄与したのかもしれません。しかし、そんな名前を特定できる「おかげ」以上に、たいせつなことは目には見えない数々の「おかげ」を、私たちは被っているという真実です。みな自分ひとりの力で生きているのではない。今日の演技だって、自分一人で舞台で演じられる子どもなどいない。先生が熱心に指導したからといって、できるものでもない。確かにそこに誰かのはたらきが作用して、子どもはすくすくと育ってくださっているのです。
傲慢な我々大人は、しばしばこの「おかげ」を忘れがちです。自分は自分の力だけで生きている、と利己心に陥りやすいものです。わが子のひたむきな演技は、その上手下手よりも、人間が「おかげさま」に生かされていることに気づく、貴重な機会とも言えるのではないでしょうか。