赤色赤光

フィクションの姿を纏う。幼児教育と物語。

2023年7月24日

話題の映画、宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」を観ました。ストーリーは省きますが、タイトルの通り、今の時代にとても大事なことを、監督は問いかけていると思いました。
例えば、生と死について、肉親の愛情について、少年期の喪失や選択について、また人生と冒険、他者との共生など、これまでのジブリの作品以上に、骨太のテーマが迫ってきて、堪能しました。
同時にこうも考えました。このような人生の主題について、今、私たちはほとんどフィクションでしか学ぶことがないのではないか、リアルな生活ではAIやテクノロジーに翻弄され、情報や消費活動に完結しているような気がします。わが家では明日のレジャーの話題に盛り上がっても、生と死について語らうような時間はないでしょう。
教育でも同じようなことがいえるかもしれません。小学校から上の学校では、進路とか偏差値とか、「目標に向かってどう進むか」で精一杯で、人生を省察したり、熟慮するような時間には事欠くことでしょう。先生もまた、いじめや不登校やリアルな問題が多すぎて、フィクションを語っている「暇」などないのかもしれません。

そう思うと、幼児教育だけが、学校教育のシステムから少し距離を置いた存在であるように見えます。テストはなく偏差値もない。勉強ではなく、あそびを中心にした活動は、明らかに幼稚園を学校とは違う、異なる空間としての独自性を担保しています。
言葉もそうです。先頃あった教育懇談で、「次の進路」や「学校問題」を話された保護者はいらっしゃらなかったと思います。ひたすらわが子にとって何が成長であり、何が幸せなのか、一番大事なことが語られていたのではないか。上の学校に行くほど、目的や計画や、また効率や成果が重視されていく中で、「人生で一番最初の学校」である幼稚園だけが、聖なる時間、ありのままでいられる時間を約束してくれているのです。それを私は、フィクションに近い、と感じます。

フィクションとは、二つの意味があります。まず「虚構」。ジブリの作品のように、人間の想像力によって作り上げられた世界像であり、もう一つは「物語」です。泥あそびという経験の中から、その子の生きていく姿、五感の楽しみや創造するよろこびを、それを育む過程として見ていくのです。
幼小接続やスタートカリキュラムの重要性も踏まえながら、私には、幼稚園という世界だけが纏うフィクションの姿を、大切にしていきたいとも思うのです。

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