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世界幸福度調査。宗教教育が目指す理想とは。

2025年6月9日

米国ハーバード大学の世界幸福度調査の結果が公表されました。 22カ国20万人が参加した大規模調査で、何と日本は最下位だったとか。 担当研究者はその低迷の理由を「宗教行事の参加が少ないことと関係があるかもしれない」とコメントしているのが印象的でした(日経5月1日)。1位はインドネシア、 2位メキシコ、3位フィリピンと続くのですが、経済力では遥かに劣る国々の共通項は、イスラムやカトリックの信仰大国だという点です。「週に1回以上、教会や寺院で礼拝する人は幸福度が高い傾向があり、生きがいにかかわる宗教の教えや行事を通した人間関係の広がりが幸福度を押し上げた可能性がある」(同紙より)というのです。

 

宗教の教え、といっても堅苦しく難解な教義を指すのではありません。日本的にいうなら、「おかげさまへの感謝」「生かされるよろこび」「同朋(仲間)への信頼」等々、私たちが社会生活を過ごす上でなくてはならない基本的な倫理観、規範意識といったものが、宗教から導き出されていると理解してよいでしょう。「幸福度の高い」国々は、宗教者の語る言葉や、寺院や教会の歴史や文化から伝播されていく人生観や死生観に、自己の生きがいや幸福感といったものを投影しているのかもしれません。

 

さて、日本です。年中行事や観光でお参りしたことはあっても、かの国々のような宗教経験がほとんど失われたこの国において、当園のように、宗教立の学校の果たす役割は小さくありません(特に天王寺区に集中する私立の名門中・高校の大半は宗教立です)。

信心のあるなしに関わらず、入学すれば「洗礼」を受ける。神を讃え、仏を拝む。若くして、超俗的な言葉や作法に出会い、中には宗教教育を通して生きる意味を知った(考えた)という人もいることでしょう。パドマ幼稚園も同じです。

3歳の幼児が、人生において初めて合掌する。仏讃歌を歌う。5歳になればお経を唱える。園内のあらゆるところに、仏心が溢れている。子どもも大人も、真摯に祈ることができる。そういう環境でしか、語り得ない真理や規範といったものがあると思います。

 

幸福とは一様に定義できるものではありません。子ども時代であれば、親の願いもあることでしょう。しかし、一番大切な幸福感とは、モノやカネで充たされるものではなく、人間形成における人格の基礎基本を育めることではないでしょうか。公正であること、慈悲に生きること、友愛や平等を重んじること等々、これらはつまり幼少期だからこそ生まれる信心の芽生えと同義です。

信心とは、何かの利益を求めるものではありません。心を清め、生活を見直し、報恩感謝に生きる。それこそ幸福の真の姿であって、宗教教育が目指す理想ではないかと思うのです。

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