赤色赤光

AI時代にこそ、感じる力を。 未来を支える幼児教育。

2025年12月22日

「韓国、受験大国からAI強国へ」という見出しの記事を読みました(日経12月10日)。
幼児教育の現場にもAIが導入され、幼い子どもが画面上のキャラクターとやり取りをしながら学ぶ取り組みが始まっているそうです。日本以上の受験大国である韓国が、これまでの知識偏重・正解追求型の教育から、AIを武器に大きな転換を図ろうとしている——そんな内容でした。

自分自身、日常的にAIを活用している立場として、その流れは理解できる一方で、少なからず違和感も覚えます。とりわけ幼児教育において、本当に必要なことは、子どもに一刻も早くAIやテクノロジーに触れさせることなのでしょうか。「AIネイティブ」と呼ばれる子どもたちが、AIよりも先に経験すべきことは何なのか。いま一度、立ち止まって考える必要があるように思います。

私たち大人は、便利さや速さに慣れ親しんでいます。しかし、子どもの育ちはAIの生成速度のようには進みません。どれほど的確なプロンプトを用意しても、子育ては思い通りにはいかないものです。そこに最速の解はありません。むしろそれは、畑の土を耕し、種をまき、水をやり、じっと待つ営みに似ています。芽を急いで引っ張っても、根は育たないのです。

常々お伝えしている通り、幼児期は感覚や感性が爆発的に育つ時期です。楽しい、面白い、気持ちいい、なんだか変だな、もっと知りたい——こうした感覚は、子どもが世界とつながる最初の糸です。この糸が細いままだと、その先にどれほど多くの知識を結びつけても、ほどけやすくなってしまいます。AIには決して真似のできない「感性の教育」こそが、幼児教育の本領だといえるでしょう。

子どもは、この感性の素質を生まれながらに無尽蔵に持っています。外界の刺激に敏感に反応する高感度の受像器のような存在ですが、その中でも共通する三つの原理があります。それが、パドマ幼稚園が大切にしている「動き・ことば・リズム」です。これは、感じる力を育てる三つの通り道であり、子どもが本能的に求めている感覚の欲求そのものでもあります。

生まれて間もない子どもが四肢をバタバタと動かすように、全身を使って身体の機能を存分に働かせることは、人間としての身体感覚の基礎をつくります。また、乳児が「まままま」「あぶあぶ」と発する喃語は、感情表現やコミュニケーションの始まりであり、ことばの感覚の芽生えです。そして、親の肌のぬくもりに包まれて安心して眠る姿は、リズム感覚の原点といえるでしょう。いずれも、誰かに教えられたものではなく、親子の関わりの中で、子ども自身の本性的な感覚の種が育ち、芽吹いた結果なのです。

パドマ幼稚園の教育は、この「動き・ことば・リズム」という、子どもが生まれながらに求める感覚の欲求を、「面白い」「もっとやってみたい」と感じられる遊びとして展開し、やがて子どもの心情や意欲、態度へと育てていくことを目標としています。決して目新しいものではありません。むしろ、愚直なまでに人間の原初の姿にこだわり続けてきた教育実践なのです。

間もなく新しい年を迎えます。最新のAIの時代、答えを素早く導き出すことは、ますますテクノロジーの得意分野になっていくでしょう。学校に通わなくても、学習そのものはオンラインで十分、という時代が来るのかもしれません。だからこそ人間には、感じること、問いを持つこと、そして時にはあえて立ち止まることが求められます。その力は、特別な勉強によって身につくものではありません。幼児期に、信頼できる仲間——先生や友だち——とともに、よく動き、よく声を出し、安心できるリズムの中で過ごすことで、自然に育まれていくのです。

VUCAの時代といわれ、これから社会はさらに不確実で、曖昧で、複雑になっていくでしょう。だからといって、不安から「時代に取り残されないように」と子どもにAIを先取りさせることが、最善の備えとは限りません。

今この瞬間を豊かに感じて生きることこそが、未来への何よりの準備になります。感じる力を大切に育てる幼児教育こそが、これからのAI時代を生き抜くための、最も分厚く、確かな土台となるのです。

みなさん、どうぞよいお年をお迎えください。

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