八雲が見た日本の子ども。「間(あいだ)」で育つ、ということ。
2026年1月6日
あけましたおめでとうございます。
N H Kの朝ドラでも知られる小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、日本の文化や人の心を深く見つめた作家です。八雲は神話や祖霊信仰から、花火や店先の声までさまざまな日本の情景を描いていますが、当時の子どもたちの姿にも静かなまなざしを向けていました。
そこで描かれた子どもたちは、決して特別な才能を誇る存在ではありません。家族や近所の人に見守られ、年上の子に連れられ、時には叱られ、時には助けられながら、日々の暮らしの中で少しずつ育っていく存在でした。
そこにあるのは、「評価」や「成果」ではなく、「ともにいる時間」そのものです。子どもは、誰かと一緒に遊び、同じ景色を見て、同じ失敗を経験し、同じ笑いを分かち合う中で、人としての感覚を育てていきます。嬉しさも、悔しさも、自分一人の中で完結するものではなく、他者との関係の中で輪郭を持ちはじめるのです。
幼稚園という場所もまた同じです。まさにその「間(あいだ)」を経験する場所です。
皆で歌うこと、順番を待つこと、思い通りにならずに泣いてしまうこと。大人の目には小さな出来事でも、子どもにとっては、他者と共に生きるための大切な学びです。そこでは、「自分がどうしたいか」だけでなく、「相手はどう感じているか」に、少しずつ心が向いていきます。
八雲は、日本の社会に根づくこの感覚――自分の幸福が、周囲の人々の幸福と深く結びついているという感覚――に強い感銘を受けました。それは、教え込まれる道徳というよりも、日々の暮らしの中で自然に身についていく態度でした。子どもたちは、大人の背中を見ながら、場の空気を感じ取りながら、「自分だけがよければいいわけではない」ということを、言葉になる前のレベルで学んでいきます。
私たち大人ができることは、子どもを過度に先回りして守ることではなく、子どもが他者と関わる時間を信じて見守ることなのかもしれません。少し遠回りに見える経験の中にこそ、人と共に生きる力の芽が宿っています。幼稚園での集団生活は、その芽をゆっくりと育てる土壌であり、人生の基盤となるものです。
八雲が見つめた日本の姿は、決して昔話ではありません。今を生きる私たちにとっても、子どもを育てる上での大切な示唆を含んでいます。わが子の成長を願うからこそ、子どもを「一人の世界」に閉じ込めるのではなく、多くの人と出会い、経験を分かち合う場へと送り出す。その積み重ねが、やがて子ども自身の幸せにつながっていくのだと思います。
八雲は著作の中でこう述べています。
「日本人のように、幸せに生きていくための秘訣を十分に心得ている人々は、他の文明国にはいない。人生の喜びは、周囲の人からの幸福にかかっており、そうであるからこそ、無私と忍耐を、われわれのうちに培う必要があるということを、日本人ほど広く一般に理解している国民は、他にあるまい。」
子どもたちがこの言葉の意味を、いつか自分自身の体験として実感できるように――そのための一歩一歩を、私たちはともに歩んでいきたいものです。
今年もよろしくお願い申し上げます。

