赤色赤光

「3人いたから助かった」 希望と仲間について思うこと。

2009年11月2日

 八丈島で転覆した漁船から、絶望的と見られていた船員3名が奇跡的に救助されました。まずは本当によかった。海の男たちの不屈の精神に敬意を表します。水も食べ物もなく、狭い暗い空間に閉じ込められた90時間、31日の会見では「死刑宣告された気分」と生還者は語りました。どれほどの孤独と恐怖に苛まれたことか、私たちが軽々しく「わかる」ようなものとは思えません。

 同じその会見で、生還者の言葉に非常に心強く共感したフレーズがありました。
「3人いたから助かった。『がんばろう』と励まし合いながら、過ごした。一人だったら死んでいただろう」

海難事故の世界では、遭難者は海のためでなく、恐怖のために死ぬと言われるそうです。生存のための指導書には「生きる希望と生命力は比例する。どんな絶望的な状況でも『生き抜こう』と思うことが生還の第一歩」「仲間が多いほど知恵が生まれ、生還のチャンスが広がる」と書かれているといいます(毎日新聞09年 11月1日)。

希望、そしてそれを分かち合う仲間の存在。それはあらゆる人間集団における普遍的な生命力であり、唐突なようですが、子どもたちの世界でもまったく同じことがいえると思いました。

 幼児の本性的な欲求は、まず「生きたい」という「生存欲求」に始まります。「生きたい」という欲求が満たされて初めて、動きたい、かかわりたい、学びたいと高次に向上していくのであって、生きる希望はすべての根源です。と同時に、人間的に「生きよう」とする希望は、単独で成立するのではなく、子どもの周囲の人たち(仲間たち)の協力や共感によって達成されていくことを忘れてはいけません。子どもたちはお金や名誉のために生きているのではない。いつも家族や先生や、友だちがそばにいて、あたたかく励ましてくれるから、生きることのすばらしさや尊さを体験として知っていくのです。

 幼稚園の場合、希望を分かち合う仲間とは、一緒に努力の体験を重ねてきたクラスメートです。希望を共有しているから、集団はより親密な仲間へと進化していきます。生還した3人が、まったく赤の他人どうしであったとしたら、希望の灯はいつまで保てたでしょうか。

 家族の次に、長い生活時間を共有してきたクラスの友だち。具体的な言葉や関与以上に、私は友だちが醸し出す存在のあたたかさこそたいせつだと思っています。見てくれている、わかってくれている、信じてくれている。多くの言葉はいりません。そういう人と人の間に根を張るような安心があれば、希望はけっして萎えることがない、と思います。

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