赤色赤光

笑顔とまなざしというお布施。保育参観で思ったこと

2009年11月20日

2学期の保育参観が終了しました。学年ごと大勢の保護者の方に子どもたちの様子をご参観いただきました。私も1週間前、全14クラスを巡回しました。現在の保育の状態に対する評価の目的もあったのですが、まさに2学期もたけなわ、子どもも先生も文字通り実りの季節を迎えていると感じました。

 

教室の中で見つめているのは誰でしょう。むろん、親御さんはわが子の一挙手一投足に注目されていると思いますが、私は教壇の前にいる先生と子どもたちの間に結ばれた「信頼の糸」を凝視していました。

身内ぼめするようで恐縮ですが、どの先生たちも笑顔がとても美しく輝いていました。多少の緊張はあったかもしれませんが、誰もがつくった笑顔ではなく、自然にそして充足感のようなものを湛えた笑顔でした。この8カ月、クラスの子どもたちと交わしてきた信頼と愛情の厚みを、心から満喫しているような、そんな笑顔だと感じました。
「いつもいきいきとご指導してくださってありがとうございます。先生の明るさと元気な笑顔で、今後も子どもたちをご指導ください」(保護者アンケートより)

上の学年になると、日課活動では子どもたちに「任せる」場面が多くなります。歌う、読む、唱える…自発的に子どもたちはふるまうのですが、それに応える先生たちのまなざしにも同じ「信頼の糸」を見ました。深い願いがこめられたまなざしというのでしょうか、互いを信じあう者どうしの連帯感、一体感が、日課活動のひとつひとつとシンクロするように浮き上がってきました。

「笑顔」にせよ「まなざし」にせよ、経験的な技量というものとは異質のものです。新任の先生にも、その先生だけのすばらしい笑顔やまなざしがあります。それはけっして取り繕うためのものではありません。入園進級の日から毎日欠くことなく、共に生活体験を積み重ねてきた者どうしの共感と共鳴が、先生の美しい笑顔やまなざしは「信頼の糸」として日々織り込まれ、張りを保ち、結ばれてきたのではなかったのでしょうか。もちろん、それを支えてくださったのは、保護者のみなさんのあたたかい励ましと協力があったからこそということも忘れてはならないと思います。
「いつも先生が大好き!そういっている娘が私は大好きです。人を信じること、人をたいせつにする心、先生から「人」についてたくさん学んでいます。心のこもった日々をくださって感謝で一杯です」(保護者アンケート)

仏教では、形のない7つの布施を「無財の七施」といって尊びます。中でも「眼施」がんせ)と「和顔施」(わげんせ)はよく知られており、前者は「やさしくあたたかいまなざしで、周りの人々の心を明るくするよう努めること」であり、後者は「やさしいほほえみをたたえて人に接すること」をいいます。

うちの先生たちの笑顔とまなざしこそ、最高のお布施であってほしい。そんなことも感じました。

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