赤色赤光

かなしみの痛みを知る人に観てほしい。映画「私の中のあなた」。

2009年10月23日

 ニック・カサベティス監督の「私の中のあたな」は、いわゆる難病ものの中では出色の出来でした。むしろアジア映画の真骨頂かと思うのですがが、「生きることのかなしみ」を切々と、けれど希望をこめて描いていきます。

 映画は、白血病に侵された姉とその妹を中心に、その兄、両親の5人家族をやさしく描写します。妹は、姉に臓器移植をするドナーとして、遺伝子操作によって生まれてきました。11歳までの生涯、何度も姉のために犠牲を強いらてきましたが、ある日、もうこれ以上は嫌だ、私の体は自分で守ると突然両親を相手に訴訟を起こします。しかも母親は元弁護士(母親役のキャメロン・ディアスはほぼノーメイクで、初めての母親役を熱演しています)。家族どうしの法廷騒動と発展して…それ以上は長くなるので、割愛しますが、物語の設定が今日的であり、また「家族愛」「いのちの尊厳」を扱って普遍的な内容になっています。ジョディ・ピコーのベストセラー小説の映画化。

ほぼ闘病や看病シーンの連続ですが、私の知人で、勤務医のシネマディクトによれば、プロから見ても「疾病によってさいなまれる患者の生活をきちんと描いている」。また彼は、この手の映画が、患者と看病人の2者関係(本作でいえば、姉と母)こそ熱心に描けど、それ以外の家族を描くことはない中で、周囲の一人ひとりの心の襞まで描いて出色、と評価していました。同感です。

 家族の場面だけではなく、法廷シーンに出てくる弁護士や検事も、みな心に傷を負っています。最近の米映画は、トラウマが犯罪の毒芽のように描かれることが多いのですが、逆に本作ではその痛みの感情が相手に対する慈愛と寛容の心となって滲みだします。弱さとは力であり、弱さはあなたを救う、というメッセージでしょうか。

 姉が亡くなる前夜に、母親を抱きしめるシーンがあります。「もういいの。受け入れましょう…」。私たちが生涯最後に到達する(のかもしれない)赦しのシーンですが、一面諦観の境地のようで美しい。がんばって、がんばって、がんばり抜いたけど、でも無理なのことがあります。そういう諦めと受容の悲哀の体験は、人間の思慮を深くするとも思います。姉の死後、家族が川べりで再会するラストシーンは、現前の生者をつなぎとめてくれているのは、そこにはいない死者の存在だけであることが伝わってきました。

 前述のドクターは、ブログで「すべての医療従事者にこの映画を見せたい」と書いています。「そして家族の御旗の下、多大な協力と犠牲を払うほかの家族にこそ見せたい。そしてまた、人生の途上にて哀しみの痛みを味わったことのある人にも観てもらいたいと思う」

 Yさん、ほんとによかったです。ありがとう。

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