赤色赤光

震災3年目。よく生きることを誓う。

2014年3月11日

 3.11から3年が経ちます。ちょうど3年前のあの日も今日のように晴天で、幼稚園は教育懇談の最中でした。大阪でも揺れを感じたので、緊急放送をしたことを憶えています。

 大勢の方々が亡くなりました。いまなお行方不明の方がいます。未だ見つからないわが子の遺体を探すため、ショベルカーの運転免許を取った母親の話を新聞で読みました。無念です。悲痛です。そして、その重みはそれを体験した人にしかわからない。私たちは本当の悲劇の前で、ただなす術もなく、立ちすくむしかありません。「祈り」とはそういう行方に立ち上がってくるものだと思います。
たくさんの人たちが逝ってしまい、そして、わたしたちはここに残されました。残された人の中には、どうしてわたしを連れていかなかった、と嘆く人もあります。生死を分かったものは、ほんの紙一重の「違い」でしかない。考えてみれば、わたしたちはその薄い一重の間をすり抜けるように、こうして生きているのかもしれません。

残された者は、先立った人のために何ができるのでしょうか。被災地へボランティアに行くのもいい、募金に応じるのもいい。まだまだやるべきことはあります。
でも、それ以上にもっとたいせつなことは、先立った人がやり遂げられなかったこと、尽くせなかったこと、「よく生きる」ということではないでしょうか。家族と、友だちと、同僚と、みんなとよく生きるということ。家庭生活でも、職場生活でも、与えられた環境と自分の役割を誠実に生きるということ。それこそがたいせつではないかと思うのです。
ささやかなことです。平凡なことかもしれない。しかし、わたしたちの日常はそんなじつに当たり前のことを毎日積み重ねて成り立っていて、それがかけがえのない「非凡」を育むことを、このたびの震災で思い知ったのではないでしょうか。

ですから、親であるあなたには、まず、目の前の子どもを丸ごと愛することを。幼児の繊細ないのちに寄り添って、どこまでもそれを守り通すことを誓ってください。また、あなたを支えてくれている、家族や同僚、友人や恋人をたいせつにしてほしい。周囲の人たちおかげなくして、あなたは存在しないのだから。
そして、自分自身をいたわり、いまあることを愛おしむこと。よく生きる、ということは、格別に高みを目指すことではなく、与えられた自分の役割を、誠実に、一つひとつ心を砕いていくこと以外にないと思います。
3.11で失ったものは大きいが、そこからわたしたちが学んだものも小さくないのです。
その灯をいつまでも絶やさぬよう、さぁ、今日一日を生ききろう。

 

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