赤色赤光

新園舎竣工。小さな修行僧たち。

2015年3月29日

  去年3月に始まった園舎改修工事がようやく終えつつあります。去る3月28日には、工事関係者と園関係者だけで竣工式を執り行いました。1年間、労苦をともにした人たちとの場であったので、感慨深いものがありました。
異例づくめの一年でした。園児がいながらの並行工事。園庭が使えない、仮教室への移動、地蔵盆や文化祭大バザーは会場の変更や縮小を余儀なくされました。急ごしらえの仮教室は、狭い上に窓がなく、しかも壁越しの工事の音が聞こえてくるという環境でありましたが、子どもたちの笑顔は何一つ変わることなく、元気に日々を過ごしてくれました。保護者のみなさんもよく趣旨をご理解、ご協力をいただき感謝の気持ちでいっぱいです。

 前の道路を挟んで、向かい側から見ていただくとよくわかるのですが、パドマ幼稚園はお寺の幼稚園です。この場所は元は、大蓮寺の巨大な伽藍の跡地。恐らくは大勢の修行僧たちが、念仏礼拝行に打ち込んだ聖地です。
今も園舎の向こうに大蓮寺の山門と應典院の本堂が見え、その向こうは、歴史ある寺町の伽藍が連なります。少し質感は違いますが、お寺の土塀がそのまま園舎のある西側へと続き、一体感を描き出しています。新しくなった玄関エントランスも、お堂を模しています。板張りの床に格天井、正面にはおなじみのお釈迦さまの絵図が。表からまっすぐ続く瓦敷きのような廊下も、禅寺のそれをイメージしています。
もちろん、お寺が経営母体の幼稚園だから、という理由もあります。ですが、それ以上に私の心にあるのは、この幼稚園こそお寺としての理想を実現しようとする場でありたいという、強い思いがあるからです。
3月とはいえまだ朝は寒い。裸のままの園児が朝のローテーションや朝礼に取り組んでいる姿を見るだけで、身が引き締まるのですが、それが部屋に帰って、全員が静かな瞑想に入ると様子は一変します。目を閉じ、心を開いて、仏を想う。無垢であり無心であるが、怠らない。その慎みと励みの姿に胸打たれます。その静寂さの向こうでは、別のクラスの子どもたちが唱える般若心経がかすかに聞こえてくる。念仏や読経はもちろん、儀礼や作法、所作の隅々まで、ここには「現代のお寺」を感じる光景にあふれています。
幼稚園は、遊園地のような子どもの楽園とは違います。人間とは何か、家族とは社会とは、という本質的命題を、幼児期という人間の原初に据えて問い続ける場所です。「現代のお寺」とは、たましいを育む場でなくてはならない。
であるならば、ここで生きる子どもたちは、小さな修行僧のような存在です。日々の勤め(日課)に励み、鍛錬を怠らない。成果や効果を求めるのではなく、仲間とともに存在そのものを高めあう。ふるまい、ことば、こころのはたらき(仏教では「身口意」といいます)をいつも意識する。そういう真摯な修行僧たちに、私は、思わず手を合わせてしまうのです。
美しい園舎という器に水を注ぐのは、私たち教職員の役割です。新しい62年目の春がもうすぐ。さぁ、まなざしを上げて、進んでいきましょう。

 

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