赤色赤光

花まつり。お釈迦さまは「自己チュー」か?

2009年4月9日

今日4月10日、幼稚園で恒例の花まつりの行事がありました。花御堂の誕生仏に甘茶をかけてお参りする、という伝統の仏教行事です(正式には4月8日)。しかしながら、「花御堂」「誕生仏」といっても、最近は一般にほとんどお馴染みがなくなっているのかもしれません。

「誕生仏」とはお釈迦さま誕生のお姿で、右手で天を指し、左手で地を指しています。お釈迦さまは生まれてすぐ7歩歩かれて、このお姿をして、「天上天下唯我独尊」と宣言されたという由来に基づいています。さて、この「唯我独尊」ですが、どうも仏教語は現代語に転じると本来の意味とは反語的に誤用されていくようです。今で言えば「自己チュー」「傍若無人」と似たようなこのフレーズですが、もちろんお釈迦さまが「俺が世界でいちばんえらいのだ」と言ったわけではない。大事なことは、そのあとおっしゃっていることなのです。

「天上天下唯我独尊 三界皆苦我当救之」

「私は、すべての世界で苦しみにある皆を救おうと生まれたのであり、だからこそ天にも地にも、一人しかいない私という存在は何よりも尊いのである」という意味です。ここで言う「私」とはお釈迦さまでもあり、あるいは特定の人称を超えた?私たちすべてを指しているととらえてもいい。一人ひとりが互いを「救う」存在である、という仏教の利他の願いがうかがえます。

人間は一人では生きていけない。だから、皆が助けあって生きていくためにも、まず自分自身の尊厳をたいせつにしなくてはなりません。子どもの自尊感情とか自己肯定感とは、最近の教育界で扱われるたいせつなテーマですが、お釈迦さまの「唯我独尊」は、一人ひとりかけがえのない存在の尊さを、今日の私たちに伝えてくださっているのでしょう。

幼稚園の小さな仏教行事ですが、そんなお釈迦さまの大きな願いを子どもたちのこころに届けたいものです。

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