赤色赤光

サマースクール終わる。いのちのお世話。

2014年7月25日

 7月のビッグイベント、サマースクール年長、年中が終わりました。いずれも落ち着いた天候で、事故もなく、また発熱や寝込む子もほとんどなく、無事終了することができました。先生たちのがんばり、そしてPTAのみなさんの応援のおかげです。厚くお礼を申し上げます。

 開園式で、私は子どもたちにこんな話をしました。
「サマースクールで、いちばんたいせつなものは皆で一緒に『暮らす』ということです。暮らすというのは、朝一緒に起きたり、顔を洗ったり、ご飯をいただいたり、団欒をしたり…ふだんはお家で、お父さんお母さんと一緒に努めていることですね。でも、サマースクールの間、ここにはお父さんお母さんはいません。その代わり、たくさんのお友だちや先生方、PTAのみなさんが今日は皆の家族としてここに居てくださっています。私たちは、大きな家族です。家族は互いに助けあわなくてはなりません。互いを信じ、互い敬いあわなくてはなりません。お家から遠く離れて少しさびしいかもしれないけど、大丈夫。大好きなお友だちや先生やPTAのみなさんがいます。みほとけ様がいてくださいます。皆で協力して、すばらしいサマースクールにしましょう」

サマースクールの目的は、園児たちの共同生活に尽きます。すばらしい体験やたくさんの思い出づくりも目的の一つではありますが、それらのベースになっているのが、おはよう、いただきます、行ってきます、ただいま、おやすみなさい…の共同の生活習慣です。年中さんであれば、生涯初めて親元の庇護を離れ、外の共同体に自分の暮らしを任す。少し誇張した言い方かもしれませんが、それは自分の生命を他者に預けるということと同義なのです。

外の共同生活にはルールがあります。一員として守らなくてはならない集団の規範があります。しかも、ふだんの幼稚園生活と根本的に異なるのは、「食べる」「寝る」という人間の生命維持のふたつの営みを家庭ではなく、敢えて非日常の場所に委ねて、皆で共有しているところにあります。このふたつが奪われたら、人間は生存できません。それを丸ごと任せることができるのは、サマースクールという場所が子どもと大人の信頼と責任に基づいた共同体験だからです。

子どもたちは、この数日間、サマースクールの数々の体験を多くの人々のお世話によって堪能することができました。食べることや寝ることも、じつは多くの人々の心づくしや手ほどきがあって成り立つことを、身を持って知ったことでしょう。そのやさしさやあたたかさは、きっと子どもたちの原体験として刻まれ、彼ら彼女らが今度は大人になった時、誰かに対しお世話のお返しをしてくれることでしょう。人間は他者へ「いのちのお世話」を交わしながら生きている。無意識かもしれないけれど、そういう相互存在的な関係(仏教でいう『縁起』)に気づいてくださったのではないでしょうか。
そして、遠くにいて自分のことを想ってくださるご両親へ、愛おしさがひときわ募った貴重な体験ではなかったでしょうか。(再掲)

  

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