赤色赤光

慈愛のまちへ。新年おめでとうございます。

2010年1月12日

私がまだ幼い子どもだった頃…昭和30年代のまち(下寺町)の交差点は、いろいろな店が軒を並べ、人が行き交うにぎわいの場でもありました。うどん屋さん、薬屋さん、酒屋さん、アイスクリーム屋さん……と、「さん」付けするにふさわしい、店の主たちの顔を今も思い浮かべることができます。どこの家の何番目の何という子、というふうに、私たちの身元は承知済みで、大人たちはまちの子どもたち皆に親しげに語りかけてくれました。

当時の日本人には、買い物とか外食すること自体が「幸福の証」であり、子どもであった私は家族と店を訪れるだけで胸が高鳴りました。店は、まだ見ぬ外界の入り口であり、その先にある大人のにおいに強く憧れました。

交差点の角には、靴磨きのおじさんが一人、まるでまちの門衛のように、決まった時間、決まった場所に座っていました。小学校の下校路でもあったので、私はしばしばおじさんの場所に立ち寄っては、何事か言葉を交わしていた記憶があります。話の中身は忘れてしまいましたが、人のよさそうな笑顔ははっきりと憶えています。彼の顔をクレパスで描いた絵が、小学校のコンクールで金賞を獲りました。母親に「おっちゃんに見せてあげんとな」と言われ、跳ぶように交差点に駆けていきました。彼のゴツゴツした指と靴クリームの油のにおいは、私にとってそのまままちの忘れざる思い出です。

まちにはいつも、働く大人の姿がありました。大人はどの子どもたちも分け隔てなく慈しみ、惜しみない愛を与えてくれていました。その慈愛に守られて、私たちは生きることの希望を育んだと思います。

 

この界隈を題材にしたある展示会で、「昭和」を想い浮かべてコメントを依頼されました。上はその文章をアレンジしたものです。いつの時代でも、大人は子どもを慈しむ、穏やかさとやさしさを湛えていきたいと思います。

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。

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