子どもは大人の親である。ひたむきさに学ぶ。
2015年4月24日
パドマ幼稚園の廊下は長く、突き当たりの最年少つくし組まで、50メートルを超える道のりを行かねばなりません。登園の朝、玄関でお母さんと別れて、ひとりこの廊下を行く年少児たち。入園してまだ3週間、数日前まで玄関エントランスであれほどいやいやをしていたのに、今日はしっかりを前進しています。階段向こうの木のルーバーからは、背中を見つめているお母さんのまなざし。期待もあり、心配もあり、だけど子どもは一度も振り返ろうとせず、すたすたと歩いていきます。表情から、高揚なのか、緊張なのかは、計り知れないのですが、その背中に大きな決意を見るのは私だけでしょうか。健気でもあり、ひたむきでもあり、そして果断でもある。まるで「ぼくは、幼稚園の子どもだ」と主張するように。
ひたむきであること、のりこえること、そしておそれないこと。そのどれもが、ひょっとして大人のわれわれが忘れてしまったことかもしれない。都合や利害で動くのではなく、自分の役割をしっかりと生きること。私は、幼児期という人間の原初にこそ、学ぶものの大きさを感じるのです。
幼稚園は、子どもを規準にして、私たちが自分を見つめ直し、考え直す場でありたい。そう考えます。もちろん子どもの発達は幼稚園最大の目的ですが、それもまた幼稚園だけで成し遂げられるものではない。そこには子どもとともに育とうとする、慎みと励みを知る大人の育ちが伴わなくてはなりません。教職員しかり、親もまたしかりです。