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よき集団は、子どものつながりの中から生起する

2015年10月26日

小学生の暴力行為が増加しています。文科省の「児童生徒の問題行動」(2014年度)で明らかになりました。中高生はやや減少しているのに、小学生は1万1468件と前年度を500件以上上回っているといいます。
新聞報道ではいろいろな要因を挙げています。少子化で集団行動が減った、共働きが増えて親のかかわりが減った、学校の先生が若年化しており児童の指導が至っていない、挙げ句は「叱る指導」「厳しい指導」に対するアレルギー…等々(読売新聞)。

少子化は子どもの周辺環境を激変させます。1学年のクラスが減って、友だちの顔ぶれが変わらない、近所に友だちがいない、遊び場もない。塾や習い事で忙しい。子ども集団につきものであったみんなで遊ぶことやケンカや仲直りや、そいういう経験を通して、自分の感情を調節する機会が減っているということでしょう。周囲とうまく折り合えず、いきなりキレる。まぁ、子どもに限ったことではありませんが…。
だから、子どもを鍛え直せという声もあって、幼小教育でスパルタ式の教育を実践しているところもあります。規律とか自立とかいいながら、結果押しつけているだけの学校園も多い。残念なことです。
子どもは圧力や命令して育つものではありません。子どもの規律とは外から押しつけるのではなく、子ども自らがそうしたいと選び取るものでなくてはならない。そうしたい原理は、子どもにとってそれがたのしいか、よろこびに値するかどうかで、それを集団の中で醸し出すところに幼稚園教育の醍醐味があると思います。

そのたのしさの軸を(専門的には快の原理といいますが)、パドマ幼稚園では「動き・ことば・リズム」として、実践を組み立てているのですが、その絶対条件は活力ある子ども集団であることと、先生が教える構えを持たないということのふたつです。ひとりではできないことが集団であれば可能となります。好ましい集団であればその中から自立した個が芽生えます。先生は、けっして指示、命令、禁止などをしない。幼児教育の場合、先生と子どもの関係は共感や共鳴をベースとしなくてはなりません。それは、すべて、子どもが集団生活を快とするため、「ここで生きていることはたのしい」と肯定感情を育むための約束なのです。

よき集団はよき個を育みます。よき集団とは、外からの指示で作られるのではなく、子ども自身がつながりあうことで、内から生起するものでなくてはならない。そう考えるのです。

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