赤色赤光

家族、親子、幼稚園。祈りを生きる。

2012年10月23日

先週、来年度の入園児テストが終わりました。大勢の親子様に受験いただきましたが、本当にありがたいことと思っています。

 それにさかのぼること3週間、断続的ではありますが、先に志願者の保護者面接をしてきました。私と主管の佐々木先生が面接官となって、10分未満の面接をさせていただきます。いろいろなご質問をさせていただくのですが、子どもさんの成長ぶりを訊ねると感極まって涙するお母さんが少なくありません。うれしいのか、愛しいのか、切ないのか、感情はさまざまでしょうが、私はその根底に家族の〈祈り〉があるからだと感じました。
 哲学者の内山節さんは「家族はお互いの幸せを祈っているから家族でいられる」とおっしゃっています。祈りは、祈られる存在があって成り立ちますが、私たちはその感情の多くを制度やサービスに預けてしまい、忘れかけているのではないでしょうか。あるいはあれほしい、これほしいというただの欲望を、祈りだと勘違いしているのではないか、とも思います。祈りは人間だけが持つ、崇高な精神活動です。子どもは、私たちの中から、その根源的な感情を呼び起こしてくれる希有な存在なのです。
 そして、もうひとつ、介護する者が、介護される者からやさしさや尊厳をもらうように、親もまた、子どもから祈りを授けられているのではないでしょうか。愛してほしい、支えてほしい、どんなことがあっても守ってほしいと、言葉にはならないが、子どもは存在を賭して祈りを発しているのです。
 すべての親御さんがそうであってほしいように、私たちパドマ幼稚園の教師も、そういう〈祈り〉を生きる人でありたい。週末の終礼で職員たちに、私はそう話をしました。

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