赤色赤光

自ら巻き込まれる。快感欲求と非認知能力。

2022年4月29日

「巻き込まれる」という言葉はあまりいいように使われません。「事件に巻き込まれる」「トラブルに巻き込まれる」というふうに、本人の意思とは別に、「否応なしに関わりを持たされる」という意味があります。転じて「巻き込まれやすいタイプ」とは主体性が乏しく、自分で判断できない優柔不断な人物ということになります。では、子どもはどうでしょうか。

幼稚園において、とりわけ入園まもないこの頃は顕著に、巻き込まれていく「快」がしばしば見られます。主体性とか判断力という個の資質をいう前に、子どもは快い環境に「巻き込まれ」ながら成長していくという意味です。

具体的に申しましょう。入園して最初の数週間、しばしば園庭や体育館で所在なげに立ちすくんでいる年少の子どもを見かけます。あたりは見知らぬ世界で、自分を構ってくれる人はいない。まるでひとり涙をこらえているように見えます。傍目に見れば、ご両親には不憫に映ることでしょう。しかし、しばらく観察していると、子どもは徐々に周囲に目を向け始め、運動あそびや外あそびの環境に強い関心を示し始めます。自ら動き、自ら関わり、自ら楽しむ仲間の姿です。そこには子どもがよろこ
びとする「快」の本質があります。幼稚園の活動には、「動き」「ことば」「リズム」という、幼児が生れながらに求める快感欲求にあふれているからなのです。立ちすくんでいた子どもが、あたりに関心を向け始め、注視し始める。そのタイミングを逃さずに、担任の先生がやってきて「一緒にあそぼう」と手を差し伸べます。指示や強制があったのではない。先生の適切な援助によって、子どもは自ら「巻き込まれて」いくのです。

テーマパークもゲームにも確かに子どもは「巻き込まれていく」のかもしれない。しかし、その環境に引きずり込まれれば、子どもは自らチャレンジすることも判断することもありません。ひたすら受け身のまま、つまり文字通り主体性を損なったまま、「巻き込まれて」しまうのです。最初から自立した人間などいません。主体性も判断力もありません。大事なことは、子どもの「やってみたい」という意欲(の芽生え)を引き出す活動であり、また仲間であり、関係の総体です。英語やICT教育も結構ですが、何をやっているかだけに目を奪われるのではなく、それを通してどんな資質や能力が引き出されているのか。やがて内発される非認知能力を育む「快」の環境こそ、幼稚園教育最大の魅力なのです。

ページトップへ