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日課は、ビシッとさせることではない 総幼研の公開保育終わる。

2025年3月3日

先月14日、パドマ幼稚園にて総合幼児教育研究会(総幼研)の全国公開保育が開催されました。全国から100名ほどの園長先生や保育の先生方にご参観いただきました。

30数年前から続く恒例行事なので、中には15年ぶりの見学という先生の姿もありました。同じ保育者としての立場からこんな感想もいただきました。

「(15年前のパドマ幼稚園とは)少し変わっていた所もありました。前回は日課中や課題活動中も姿勢を意識して、背中は真っ直ぐ、足はぐーと、常にビシッとしていた印象でしたが、秋田(光軌園長)先生のお話の中にもあったように、『日課活動の目的はビシッとさせることではない』という姿に変わっていると感じました」

「作文トレーニングでも子どもたちの書きたい!や、発表したい!の気持ちが表情に表れていたように感じました。(中略)。先生は見守り、グループで子ども達だけで話合いをして、子ども主体で活動しているからこその表現(関心や意欲)があるのだと感じました」(アンケートより)

短いコメントから、当園の近年の「変化」の兆しを感じ取ってくれたのかと思います。

15年も前からすれば、どの園にも変化はあろうかと思いますが、今回のパドマの公開保育で顕著な姿は、一つは若い園長がトップに立ったこと、ふたつは、主体性が活動の中身だけでなく子どもと先生の関係に浸透してきたこと、そして3つ目が、その土台にある総幼研活動(とくに日課)の分厚い存在の再認識、ではなかったでしょうか。手前味噌になりますが、新しいパドマの胎動を、総幼研の仲間だからこそ感じ取ってくれたのかと思います。

ベストセラーとなっている中室牧子先生の「科学的実証(エビデンス)で子育て」に、園長の「信念」について興味深い紹介があります。以下引用します。

「園長の<基礎学力重視>の信念が強いと、幼児教育の質が低く、<関心・経験重視>の信念が強いと、幼児教育の質が高い」というエビデンスです。小学校入学に向けて「教える」ことを重くみる園長と、その時々の子どもの自発的な関心や経験を経て「考える」ことを重視する園長とでは、あと伸びするこどもの姿に明らかに違いが出るというのです。

もちろんパドマ幼稚園が「基礎学力重視」の「一斉指導」をしているわけではありません。「勉強」ではなく「あそび」であるはずですが、コメントの指摘にもあったように一昔前の当園がその柔軟性や拡張性に欠いていたという認識は少なからずあります。昭和から平成の時代の気分もあったでしょう。作文トレーニングも上手に書くことがねらいではないはずです。同書にもあるように、「子どもが課題に対して持つ熱意や関心は、それをどれだけ上手にやれるかよりも重要」なのです。

今回の公開保育は、型の教育を見直すというテーマがありました。同じ型であっても、時代の中で捉え方は変化していきます。その担い手の眼差しも変わっていくものでしょう。それこそ「訂正する力」(東浩紀)なのです。

集団か個か、型か主体か、の二択ではないのです。そのバランスをどう踏まえながら、ゆたかなあそびの経験へと紡ぐのか、園長の「信念」は極めて重要なのです。

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