ことばは、家庭で育つ。家庭文化資本とは。
2026年7月27日
私が子どもの頃、家の応接間には百科事典や美術全集といった豪華本が鎮座していました。父の書斎は文学全集であふれ、小さな子どもだった私には、そこは大人だけが入ることのできる知の世界でした。本は知性の象徴であり、子どもの憧れでもあったように思います。
最近では、地方に一軒も本屋がない町があることが話題になります。調べものはインターネットやAIで済み、情報は画面の中にあふれています。本は、かつてほど特別な存在ではなくなりました。
その一方で、子どもたちの読解力の低下が言われるようになりました。教科書が読めない、契約書やマニュアルが理解できない。だから国語教育をもっと実用的にすべきだという議論もあります。
しかし私は、その前に考えたいことがあります。
私たちは今、「読む」という行為をどのように捉えているのでしょうか。
ネットやSNSには膨大な文章があります。しかし、その多くは情報を探したり、人とやり取りをしたりするための文章です。必要なところだけを拾い読みし、目的を果たせば閉じてしまう。読んでいるというより、「検索している」と言った方が近いのかもしれません。
子どもの言葉の育ちは、家庭環境と深く関わっていることが知られています。幼児期の豊かな言葉の経験は、その後の読解力にもつながっていくと言われます。しかし、それは幼いうちから語彙を覚えさせようという話ではありません。幼稚園では、遊びや生活、人との対話の中で、子どもたちは自然に言葉を身につけていきます。
近年の教育学では、家庭のそうした環境を「文化資本」と呼びます。家に本があること、図書館や書店へ出かけること、美術館や博物館を訪ねること。そして何より、親子でたくさん言葉を交わすこと。そうした日々の暮らしが、子どもの言葉や考える力を育てていくのです。
書籍そのものの存在感が軽くなった今、書斎を持つ家庭は少なくなりました。一方で、文化資本は昔以上に豊かなになっていると感じます。
子どもと一緒に図書館や博物館へ出かけてみる。寝る前に絵本や図鑑を読むこと。コンサートやミュージカルもいいでしょう。そして、「今日は何が楽しかった?」と子どもの声に耳を傾けること。そんな何気ない時間の中に、子どもの言葉は育っていきます。親に図書館や書店へ連れて行ってもらった経験の多い子どもほど、読書好きになるという調査もあります。
夏休みは、家庭で過ごす時間がぐんと増える季節です。
かつて私にとって父の書斎が「知への憧れ」だったように、子どもたちにも、それぞれの家庭の中に「ことばの原風景」が残っていくことでしょう。
この夏休み、どれだけ勉強したかではなく、どんな言葉を交わしたか。そんなことを少しだけ心に留めていただければと思います。

