赤色赤光

英語を喋ることより大事なもの。共同感覚。

2015年10月2日

先日、英語教育で有名な私立小学校を訪れた時のこと。幼少期の英語熱が高まっていますが、こちらでは校長先生は「英語教育は、英語を喋られることが目的ではないです」と明言されていました。英語は個人の能力だが、英語を通じてコミュニケーションするには、まず自分とみんなの関係づくりが大事だとも。

英語の早期教育の趣旨については改めますが、英語化が進めば進むほど、英語ではない言語が疎かになる傾向があります。スプーンで食事をしつけられた子どもにいきなりお箸は使えないように、英語の極端な早期教育が日本語の環境を劣化させてはならないとも思います。私たち日本人(に限る意味ではありませんが)は、日本という国、地域に暮らしてるわけで、ほとんどの人は幼少期から外国で生活しているわけではありません。日本には日本固有の生活や文化、規範や常識があるのであって、それを頭越しに、早期から英語漬け・外国語漬けすることに私は首肯することはできません。まずお箸に使い方を習得してから、ナイフやフォークがあるのだと思います。
英語化社会が加速すると、英語能力のあるなしによって人が選別される、という極端な意見もあります。それはともかく、それでも他者とわかりあえる、つながりあえる、協力しあえる「共同感覚」こそ大事であって、それは英語か日本語か、という言語とは違う要点だと思います。幼稚園だからこそ、まず仲間とともに生きる、協力や協調、協働のよろこびを知る、そのことをしっかり育んでいきたいと思っています。

ラグビーのワールカップの日本チームは、多国籍なナショナルチームです。顔は違う、出身国も母語も違う。でもスポーツを通じて、ともにたたかいながら、ひとつになれる。そういう一体感こそ、私たちは目指したいと考えています。

(当園の英語教育は各クラス週2回を原則とし、ベテランのアメリカ人教員が指導にあたっています。その理念は、サイトの英語教育のバナーをご覧ください)

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