赤色赤光

桃太郎のお供(とも)はアンパンマンではない

2010年5月6日

 図書室の貸出絵本が毎日大人気です。新年中さんには、新しい習慣ですが、年長さんにはすでに去年百冊突破をした子どももいます。貸出ノートのお母さんのコメントを見ると、親子で楽しく絵本読みしてくださっている様子がうかがえます。

 最近の創作絵本も楽しいですが、誰でも知っている童話や昔話もぜひ与えてあげたいもの。世代を超えて、家族で絵本を楽しむことができます。
ところが、「桃太郎のお供にアンパンマンがいた?」という新聞記事を見つけました(産経0422)。ある大学の調査によると、桃太郎が鬼退治の時に腰に付けた物を「きびだんご」と正解したのは、3歳児でわずかに22%、5、6歳で51%だったといいます。誤答には、パン、ケーキ、シチューといった洋食も多かったとか。また一緒に鬼退治に行ったお供を「犬、猿、雉」と回答したのは、3歳 22%、5.6歳50%。で、アンパンマンというのは、その時の珍答だそうです。

 研究者は「昔話をキャラクターでアレンジしたイベントや絵本の影響ではないか」とコメントしていましたが、調査によれば、じつは親世代も昔話の絵本読みや語りは減少の傾向にあるそうです。若い両親も昔話を与えていないので、よく知らなくなっているのでしょうか。

 抒情歌に日本の魂がこめられているように、日本の昔話にも、古来からの道徳感や規範意識が盛り込まれています。時代が変わっても、揺るがない価値観は一生モノであり、だいじなことは、それを親子代々が世代を超えて読み継いでいくということだと思います。

「読む」という行為は、「物語にこめられた宝物を伝える」ということです。では、そのたいせつな宝物とは何でしょうか。

 コンピューターが進化していっそう顕著ですが、、現代の文明から「伝える」機能が劣ってきています。子どもも大人も進歩・発展こそが目標であって、そこからは世代から世代へ「手渡し」「受け継ぐ」文化が見えにくくなっているのではないでしょうか。たいせつなものは、時代を超えて引き継がれ、その都度宝物は磨きこまれていくのですが、そういうプロセスが「中抜き」されています。

 昔話や童話の読み聞かせは、その「伝える」ことの原理ともいえます。読み手(親)と受け手(子)との人間的な交流を共感でつなぎ、受け手はそこからたいせつなものを受け取り、より新しい目でまわりの世界を見直すようになります。ひとつの本が媒介となって、世代を超えた普遍的な文化が育まれていくのです。

 もちろん、新しいストーリーや絵を楽しむこともたいせつですが、子どもが求めているのは、情報の新しさではありません。本物の宝物は、いつの時代も不変の輝きを保たなければならないのです。

 アンパンマンももちろん結構ですが、その前に日本人の心を「伝え」「伝えられる」昔話を親子いっしょにもう一度読み直してみたいものです。

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