赤色赤光

子どもをほめる。普通の事実をほめる。

2010年4月26日

 新年度がスタートして2週間が経ちました。入園児は7日から登園ですから、だんだんと園生活にも慣れてきてくださいました。

 とくに入園児にとってはまったく新しい環境となって、期待に胸踊るというより、不安な気持ちのほうが大きかったのではないでしょうか。それでも、玄関でお母さんとバイバイをして、自分で廊下を踏みしめて教室へと歩んでいく子どもたちの姿は頼もしくもあります。

 教室で真っ先に子どもを迎えるのは、担任の先生です。

 「おはよう!今日は泣かないで来てくれたんやね。先生、うれしい」
「おはよう!今日は笑顔で来てくれたんやね。先生、うれしい」
「おはよう!今日はしっかり一人で歩いてきたね、先生、うれしい」

 毎日、同じ時間、同じように来てくださるのですが、先生のほめ言葉は二つとして同じ内容がありません。日々子どものようすをよく観察している。そして、子どものある姿をそのまま、心から感嘆するようにほめています。

 子どもをほめて育てるたいせつさは、家庭も幼稚園も同じです。

 先日、科学技術振興機構という団体が、親子400組に3年以上調査をして、乳幼児に対する親のかかわり方の影響について発表しました(毎日新聞0327)。その結果「1歳半以降の行動観察で、親によくほめられた乳幼児は、ほめられない乳幼児に比べ、3歳半まで社会適応力(主体性や思いやり等)が高い状態を保つ子が2倍いる」ことが判明しました。幼児教育の常識ですが、これを科学的に実証できたことの意義は小さくありません。
ですから、ご両親も大いにわが子をほめていただきたいのですが、その際に心得ておきたいことがあります。それが、さっきの担任の先生のほめ言葉の通り、「子どもの事実」をそのままほめるということです。

 ほめる、ということは評価ではありません。上の学校に行けば、成績がよいからほめられることもあるでしょうが、幼児期の間、ほめる対象は普通のことです。「普通であることが立派だ」とほめるのです。朝、バスに乗る。お釈迦様の絵像にご挨拶をする。廊下を歩く。自分で靴を脱ぐ。上着を脱ぐ…どれも普通のことですが、それを欠かさずつとめてくださっていることが、すばらしいのです。

 「何かができるから」ほめるのであれば、それは評価であると同時に期待になります。大人の期待は時として、子どもへのおだてになったり、押しつけになることもあります。

 いまはただ事実をほめる、できれば昨日とは少しでも違うところを見つけてほめてあげれば十分なのです。そのためにも、たえず子どもに関心を払い、ほめるべき普通の長所を探し出すよう努めてください。

 人間は誰もが自分自身の存在価値を認めてほしいものです。子どもはほめられることで、「自分は愛されている」という強い自己肯定感につながります。まずはわが子が今日も元気に幼稚園に通ってくださったこと。帰ってきたら、全身笑顔でほめてあげましょう。

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