赤色赤光

「天職」とは何だろう(映画「おくりびと)

2008年10月21日

非常に当たっているという映画「おくりびと」を観てきました。

住職が本職の私にはかえって親しみのある題材だったのですが、納棺師という仕事ははじめて知りました(大阪ではほとんど葬儀社のサービスの一環と化しています)。

映画の中で、遺体を扱うという仕事に自覚の持てない主人公に、先輩社長が「(納棺師は)あんたの天職だよ」と言う場面がありました。「天職」とは「天から授かった神聖な聖務」の意。いまやほとんど死語といえるでしょう。

若い人に「目指す仕事は?」と聞けば、「人 から感謝される仕事」「尊敬される仕事」、それからもちろん「儲かる仕事」を希望するのが常でしょうが、この映画の「天職」は、外部の評価や高い報酬が決 定要因ではありません。

当初は主人公も家族や友人から軽蔑され、一度は退職を決意します。それがやがて「天職」として受け止められるまで、三つの条件があることに気づかされます。

一つは圧倒的な技量技術。映画の納棺シーンは、ほとんどアートのような技です。二つめは その技量を学ぶよき師匠に恵まれること。それも、高度な技、生き様、人格といった言語化できない像が必要です。三つ目が少し観念的ですが、「求道精神」の ようなものでしょうか。仕事を通して、正しい生き方を探す。あるいは人生を再構築する。永遠の問いのような自身の仕事観が、「天職」を育みます(そういえ ば、「仕事」とは「事」に「仕える」と書きますね)。

唐突ですが、「弔い」も「子育て」も古来家族の営みであったという共通項があります。時 代とともに多くは外部化されて、今はきれいなサービスと化していますが、じつはそれらの仕事の深層からは「生死」にかかわるという「家族の神話」が透けて 見えます。「神聖な聖務」とは、失われた家族の記憶を再生しようとする、仕事人たちの矜持を言うのでしょうか。

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