赤色赤光

「日課」は生き方の型をつくる。

2009年3月1日

パドマ幼稚園の毎日の活動を「日課活動」といいます。「日課」とは 古くから宗教で使われてきた言葉で(たとえば「日課数珠」とか「日課勤行」「日課聖書」…)、つまり「神仏に対する毎日のお勤め」を言ったのでしょう。幼稚園の毎日の朝も、全クラスお仏壇に対する念仏礼拝に始まります。

毎日食事をする、寝起きすること「日課」とはいいません。やるべきことを定めて、それを使命として毎日成就することが日課であって、非常に人間的で意志的な含意があります。言い換えれば、強い願いをもって、その人自身がやり遂げること、保ち続けることが日課の日課たる所以です。

パドマ幼稚園の教育活動は、そのほとんどが「日課」で構成されています。朝のフラッシュカードのみならず、体育ローテーションも音読も歌も発声も、そして「お念仏」も「般若心経」も毎日毎日くりかえし、3年間の幼稚園生活の間、欠かすことがありません。大人の目から見ると、盛りだくさんとか忙しそうとか、そういう印象があるかもしれませんが、それは「日課」が身についていない人の勝手な思い込みです。

考えてみれば、私たち現代人は自己に何かを課する、自ら何かを背負うということをしてきたのでしょうか。お手軽さやわかりやすさに逃げるか、あるいはなるべく「外注化」して自分の課題の箱はいつもからっぽなままが続いているような気がします。

課題の乏しい人生は、安逸に流されがちです。課題と向き合わない仕事は、金儲けにしか喜びが見出せません。これを続ければ成績が上がるとか、健康になると か、そういう目先の成果を求める姿勢も、本当の日課とはいえない。なぜなら効果がないと知ると、そういう日課は忽ち取り下げられるからです。

日課は愚直さとセットです。意味を問わず、効果を求めない。やがて日課は究極の習慣として身につき、自分の内面に黄金のような「型」ができる。これからの長 い人生、自分で課題を発見する力、それと向き合い、やり抜く力。勉強も仕事も、一流の課題です。その子の生涯の基盤を支える「生き方の型」は、一生モノなのです。

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