赤色赤光

うまいけど、うすい。芥川賞の「ポトスライムの舟」

2009年3月8日

1月に芥川賞を受賞した、津村記久子の「ポトスライムの舟」を読みました。久々の関西弁の文学で、いま売れているようです。

読後の感想は「うまいけど、うすい」印象。芥川賞と直木賞の明確な区別は知りませんが、私には生死の問題に真っ向から取り組んだ、天童荒太の「悼む人」のほうが文学的野心にあふれていて、芥川賞ぽかった。フラットな日常に深入りして、等身大的関心にあふれかえった世界に、「みんな、こんなに内向きでいいのか?」(選考委員の作家池澤夏樹)と私も少し心配になりました。

「格差社会の文学」とか「現代の<蟹工船>」とか、ちょっと褒めすぎな印象もありますが、確かにうまくて、乾いています。感傷もなく観念もなく、淡々と日常を切り取っていく。その冷静さが逆にワーキングプアの生活感を浮き上がらせるという効果を生んでいます。 やはり選考委員の高樹のぶ子が「視線を低く保つ関西人の気質と言葉遣いがうまく時代を掴まえた」というのは言い得て妙で、このテーマを東京を舞台にすると、もっと告発調で問題提起ぎっしり詰まった別物になったかもしれません。奈良という中間的な舞台を選んだのも、ひたすら小銭の出納帳を列記したり、また登場人物をカタカナ表記するのも、俯瞰図ではなく、地を這う視点から文学を試みたからでしょう。関西弁が必然なのです。だからうまいのです。  

でも、私はやはり好きになれない。もっと劇的であれとか、社会を批判せよとか言いたいわけではないのですが、文学にせよ映画にせよ、表現というものは個人生活に過度にハマってしまってはいけないような気がするのです。あるいは(本作はそうではありませんが)、最近の若い表現者たちの問題関心がひたすら自己愛的世界に突き進んでいく衝動に、少なからず危惧をおぼえるからです。

ところで、津村さんはまだ会社勤めを続けながら、4時起き執筆を続けているのだろうか。敬服します。

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