赤色赤光

さようなら、幼稚園。第55回卒業式。

2009年3月15日

先週13日、パドマ幼稚園の卒業式が開催され、139名の年長児が巣立っていきました。音楽法要にはじまり、歌の斉唱、呼びかけ、また歌、最後は「仰げば尊し」と、さながら音楽叙情詩のような2時間、参列のお母さんもお父さんも大泣きのセレモニーでした。

これまで「仰げば尊し」の歌詞は子ども用にアレンジされていたのですが、今回からはお馴染みのレギュラーバージョン。古文調の詞でありながら、「今こそ別れめ いざさらば」と子どもたちは見事に歌い上げてくれました。これもまた、感動ひとしお。

それにしても、「卒業おめでとう」と祝福しながら、なぜ父母も教師も泣くのか。3年間の園生活、わが子がよくここまで育ってくれたという感慨と同時に、親自身もまた共にあった時の記憶に対する涙でしょうか。「(親である)私もよく生きた」と自分をほめてあげてほしいと思います。

過去をふりかえる涙と、もうひとつ未来を想う涙があります。まだ見ぬ明日と出会うために、今日というたいせつな日に別れを告げなくてはならないからです。

人生には幾度かたいせつな「別れと出会い」があります。「出会いと別れ」ではなく「別れと出会い」。入学、進学、就職、結婚、出産、そして老いと死。出会いのステージはさまざまですが、その前に私たちは大いなるものを喪う。あるいは放棄しなくてはならない。未来は現在を捨てることでしか築かれていかないという冷厳な事実に、私たちは悄然としつつ、涙ながらそれを受け入れていかざるを得ないのです。

幼稚園生活は二度とくりかえすことはできない。多くの思い出の宝箱に、今日「別れ」という封印をしなくてはなりません。幼稚園の卒業式とは、子どもが人生で最初に経験する「別れと出会い」のたいせつな儀式なのです。

さようなら、友だち、さようなら、先生、さようなら、パドマ幼稚園。講堂に響いた子どもたちの惜別の声は、春には小学生にと生まれ変わる「再生の産声」に重なって聞こえました。

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