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同感力とルール感覚。「アダム・スミス」を読む。

2009年3月23日

今日は畑違いの経済の本の紹介です。「国富論」の著者アダム・スミ スはで、一般的には自由放任主義で有名ですが、もうひとつの代表作「道徳感情論」はあまり知られていません。この2作を論じて、昨年暮れにサントリー学芸 賞を受賞した大阪大学の堂目卓生教授の「アダム・スミス」(中公新書)がよく読まれているようです。暴走する消費資本主義を原点から見つめなおし、経済に とっての倫理観や正義感を再認識した内容で感銘しました。

「道徳感情論」でスミスは、社会秩序を導く人間性を解明し、「国富論」では最下層の人々の幸福を念頭に置いた経済理論を展開します。一部しか紹介できませんが、同書には目を洗われるようなフレーズがいくつも出てきます。

「市場は富を媒介にして、見知らぬ者どうしが世話を交換する場」であり、「富は市場によって国内の人間をつなぎ、成長によって富んだ人と貧しい人をつな ぎ」「(自由で公正な市場経済は)その社会がどの程度、道徳的に成熟した社会であるか、にかかっている」…「人間の中に<賢明さ>と< 弱さ>の両方があり」「経済を発展させるのは<弱さ>であり」「そのような欺瞞が経済を発展させ、社会を文明化する原動力になる」のだ が、「その<弱さ>が社会的役割を果たすためには、<賢明さ>(社会秩序)からの制御を受けなくてはならない」…。まぁ、これが 経済学の祖の思想だったのか、と意外ですらありました。

その根幹にあるのが、人間には「同感」する力があり、これが社会秩 序を支え、経済行為の行き過ぎを制御する、という考え方です。人間は利己主義の塊ではなく、皆と協同しなくてはいられない存在であり、そこから、一般的諸 規則(ゼネラル・ルール)が生まれ、義務や正義、秩序など…アダム・スミスの論は展開されていきます。逆に言えば、人間性の根本から「同感」が欠落すれ ば、社会から秩序も繁栄も失われるという論証でもあります。

「ルール感覚」とはパドマ幼稚園でも言われる言葉ですが、それは生まれつき人間に備わっているものではない、とりわけ他者への「同感」力から養われる、という考え方に幼児教育にも通底するものを感じました。経済学はもともと人間にやさしいものだったんですね。

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